聖徳太子が井戸掘り名人だった!?法輪寺の「歴史(年表)・境内見どころ・拝観時間・お守りの種類」など

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聖徳太子が井戸掘り名人だった!?法輪寺の「歴史(年表)・境内見どころ・拝観時間・お守りの種類」など

奈良・法輪寺

創建年

  • 不明
  • 推定説1:622年(推古天皇30年)
  • 推定説2:670年(天智9年)
再建年

  • 1739年(元文4年/江戸時代中期)
  • 1903年(明治36年/明治時代初期)
  • 1960年(昭和35年)
  • 1975年(昭和50年)
山号

  • 妙見山
宗派

  • 聖徳宗
御本尊

  • 薬師如来
札所番号

  • 聖徳太子霊跡16番
  • 大和北部八十八ヶ所霊場 第53番
発願者

  • 推定説1:山背大兄王
  • 推定説2:百済開法師・圓明法師・下氷新物

奈良・法輪寺の読み方

仏像やお堂には難しい漢字の表記で読みにくい名前がありますが、法輪寺は「ほうりんじ」と読みます。

その他、法輪寺には別名があり「三井寺(みいでら)」や「御井寺(みいでら)」とも呼称するようです。

「三井寺」の名前の由来

法輪寺の住所地を見ていただければ分かりますが、「奈良県生駒郡斑鳩町三井1570」となっており、住所地の最後の町名に「三井」が入っています。

もうお分かりだとは思いますが、三井寺の「三井」とは住所地から由来が来ています。

「三井」の住所の由来とは、聖徳太子が法輪寺の付近周辺に「3つ井戸」を掘ったらしく、この井戸の数に因んで「三井」の名前が来ています。

ちなみに聖徳太子が掘った井戸は太子ゆかりの寺「大阪の四天王寺」の境内にもあります。その他、畿内においても聖徳太子ゆかりの井戸がいくつか存在します。

⬆️史跡「三井の井戸」

⬆️井戸をアップ

⬆️案内板

奈良・法輪寺の「歴史・由来」

実は、奈良・法輪寺の創建年に関しては以下のような2つの説が存在しています。

1.聖徳太子の病気の平癒を祈願して、太子の御子である「山背大兄王」が622年(推古天皇30年)に創建したとされる説。
2.670年(天智天皇9年)に「百済開法師」・「圓明法師」、「下氷新物」の「3人の人物」が創建したとされる説。

ちなみに上の2番目の「3人の人物」に関しては存在が明らかにされておらず、一説では「下氷新物」と「山背大兄王」は同一の人物であると云われており、そんな理由から法輪寺の創建は「山背大兄王」と表記されることが多くあります。

創建以後、法輪寺の名前は有史上には見えず、再び歴史上に名前が現れるのが江戸時代になってからのことです。

飛鳥時代〜鎌倉時代

伝承される仏像群の年代を推察すれば、鎌倉時代までは興盛を極めたようです。

御三井寺資財帳という古書物の内容に依れば928年(延長6年)の境内敷地について記されており、東は法起寺堺、西は板垣の峰、南は鹿田池、北は氷室池の堤、に至るまでの寺領を誇っていたとされています。

しかし、極めて早い時期から興福寺一乗院の末寺に属したため、付近の法起寺や中宮寺のように法隆寺の記録には残されていません。

聖徳太子伝私記の内容に依れば金堂、塔、講堂、食堂などの建物が伽藍に建てられていたことが記載されており、境内からはこの時期に作られたとみられる銅製の鏡などの品々が見つかっています。

安土桃山時代

1587年(天正15年)正月には、太閤秀吉が当寺を自らの祈願寺と定め、金剛院の真賀に帰依しています。この他、門外に下馬石を建て、弟の秀長が使者として来訪したとの記述もみられます。

ちなみにこの下馬石は現在も法輪寺の拝観出入口となる南門の表側に残されています。

江戸時代

1645年(正保2年/江戸時代前期)に関西地方を襲った台風の被害によって金堂、講堂が倒壊、三重塔は最上層が損壊し、無残にも二重だけの姿になるなど、伽藍のほとんどが壊滅しています。

平政隆が著した「愚子見記」によれば、二重になった三重塔のみを残し、境内は坊主状態(更地)になったとのことで大風の威力がいかに凄まじかったのが理解できます。誰かに恨まれた?

その後「1716年から1735年(江戸時代中期)」の享保年間に当寺の住僧である「大円房寳祐(ほうゆう)」と「大坂上人町松左衛門」の勧進活動によってようやく再建計画が成り、1760年(宝暦10年)に「三重塔」が完成、1761年(宝暦11年)に「金堂」・「南大門」の再建されています。

当寺に伝わる古文書「仏舎利縁起」の記述によれば、1760年の再建工事の最中の、1739年(元文4年)7月に塔心柱下から仏舎利をはじめとした品々が出土したことが明らかにされています。

法輪寺と妙見信仰

法輪寺の有名な信仰に「妙見菩薩信仰」がありますが、この信仰のあらわれとして1731年(享保16年)に妙見山にあった妙見堂を講堂裏に移築する形で造営し、以来、現今に至るまで当寺を代表する信仰になっています。

昭和時代

さらにその後の1903年(明治36年)に国宝に指定登録され、大規模な解体修理が行われますが、1941年(昭和16年)に公布された第二次世界大戦時の「金属類回収令」によって三重塔が避雷針を失っています。

しかし1944年(昭和19年)には、さらに大きな不運に見舞われることになります。

その不運とは、避雷針を失った三重塔に落雷があり火事に見舞われてしまい、国宝の三重塔が焼失に至ります。

その後の1975年(昭和50年)に日本全国から浄財を集めて再建が成り、三重塔だけではなく創建当初の伽藍の威容を取り戻し現在に至っています。

尚、現在に至っては「法輪寺」と呼称される寺院は日本全国にいくかありますが、奈良・法輪寺は「聖徳宗の寺院」となりますので他の法輪寺とは異なる寺院です。

奈良・法輪寺の伽藍配置図

法輪寺の「創建当初の記録」や、それ以後の記録は「江戸初期まで無い」に等しく、創建当初の伽藍の配置図が不明であったとされてきました。

しかし、法輪寺の鎌倉時代の伽藍の様子を描いた古地図が寺に伝わっており、これをもとにして1950年(昭和25年)に調査を行ったところ、なんと!「法隆寺と類似した伽藍」が7世紀の後期(650年から700年あたり)には成立していたことが明らかにされています。

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「法隆寺式の伽藍」とは「金堂」「仏塔」を中心として「南に中門」を配し、これらを取り巻く形で「廻廊」を回し、「南の中門」と相対する形で北の廻廊外に「講堂」を配置するような伽藍配置のことです。

現在の法輪寺には廻廊はありませんが、かつては廻廊が存在したようです。

参考例:法輪寺の現在の伽藍(境内図)

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  1. 三重塔
  2. 金堂
  3. 講堂(収蔵庫)
  4. 妙見堂
  5. 鬼子毋神堂
  6. 地蔵堂
  7. 鐘楼
  8. 会津八一歌碑
  9. 西門(上土門)
  10. 南門
  11. 庫裏

奈良・法輪寺の境内案内地図

奈良・法輪寺は崇敬者の手厚い加護のおかげで、現在に至っても伽藍が残っており境内には堂舎が立ち並び広々としています。

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現在の法輪寺境内の堂舎や建物は残念ながらすべて近世代に造営されたものばかりです。

上述して通り、これは1645年(正保2年/江戸時代前期)に起きた大風によって境内の堂舎は三重塔を残してすべて倒壊し、その三重塔も昭和19年に落雷により、炎上し、1975年(昭和50年)に再建されたものです。

奈良・法輪寺の境内の建物や見どころ

金堂

創建年(現在のもの)

  • 1761年(宝暦11年)※江戸時代
大きさ

  • 横幅:五間(約10m)
  • 奥行:五間(約10m)
建築様式(造り)

  • 寄棟造り

1761年(宝暦11年)に旧金堂跡に再建されたものが現在見ることのできる姿です。近年、老朽化が著しく見られ、比較的早い段階での修理の必要があるとのことです。

三重塔

創建年

  • 不明
  • 推定:686年以降〜706年頃/飛鳥時代
再建年

  • 1739年(江戸時代)※修理
  • 1760年(江戸時代)※修理
  • 1903年(明治時代)※解体修理
  • 1965年3月〜1975年(昭和時代)※一からの再建
大きさ

  • 横幅:三間(約6m)※初層部
  • 奥行:三間(約6m)※初層部
高さ

  • 約25m(相輪部分8m含む)
  • 基壇:1m
  • 初重:6.4m
  • 二重:4.8m
  • 三重:3.2m
逓減率

  • 約0.5〜0.6
建築様式(造り)

  • 三重・仏塔(供養塔)
  • 方形造り
屋根造り

  • 本瓦葺
  • 軒の出:各層3.5m
軒先の長さ

  • 初重:約13.7m
  • 二重:12m
  • 三重:10m
設計者

  • 竹島卓一博士
造営指揮

  • 西岡常一大棟梁
発願者

  • 法輪寺および崇敬者一同

法輪寺三重塔は2層目の卍型高欄や貫や台輪に見える雲形の意匠などをはじめ、姿こそ飛鳥様式を見せますが、残念ながら法輪寺三重塔は1944年(昭和19年)7月21日に落雷で焼失したため現在見られる姿は1975年(昭和50年)に再建された時のものです。このため国宝指定から除外されることになり【旧・国宝】とされています。

しかし、現今に至っても斑鳩三塔とうちの1塔として知られています。

法輪寺三重塔の創建年

法輪寺三重塔の創建年は不詳とされますが、およそ天武天皇の治世以降、法起寺の三重塔よりも前の創建だと考えられています。

すなわち686年〜706年(慶雲3年/飛鳥時代)の間に造営されたものだと考えられています。

創建以降、法輪寺の名前自体が有史上にはあまり散見されず、名前が頻繁に登場してくるのが江戸時代になってからのことです。

ただ、古来、「斑鳩三塔」とも呼ばれ崇敬が寄せられています。

斑鳩三塔
  1. 法隆寺五重塔
  2. 法輪寺三重塔
  3. 法起寺三重塔

江戸時代

1645年(正保2年/江戸時代前期)の大風の影響で最上層が損壊、1760年(宝暦10年)に「三重塔」が再建されています。

昭和時代

1944年(昭和19年)に落雷のため被災し、1975年に再建されています。国宝指定からは外れていますが、現在見ることができる三重塔の姿はこの再建時のものです。

旧三重塔の心礎

境内には旧三重塔の心礎も残されています。

1739(元文4年)に三重塔の修理が行われており、その約2年後となる1741年(寛保元年)3月5日に法輪寺の住僧「宝祐」により、心礎から銅壺(仏舎利容器)が発見されます。

後にこのことは「仏舎利縁起」という書物に記され、後世では大変貴重な資料として受け継がれることになります。

講堂(収蔵庫)

講堂(収蔵庫)は空調設備のある最新型の建造物です。内部には以下の仏像が安置されています。

十一面観音菩薩立像【重要文化財】

  • 造立年:平安時代後期
  • 像高:360㎝
  • 造立様式など:木造彩色

元来、講堂に安置されていた講堂の御本尊です。現在は講堂が収蔵庫になっていますので、収蔵庫の御本尊でもあります。

伝虚空蔵菩薩立像【重要文化財】

  • 造立年:飛鳥時代
  • 像高:175.4㎝
  • 造立様式など:木造彩色

元来、薬師如来像と共に金堂で安置されていました。法隆寺大宝蔵院に安置される百済観音との像容が類似していることから飛鳥時代末期の造立と見られています。

その他の仏像一覧

・吉祥天立像:造立年:平安時代後期/像高:360㎝/造立様式など:木造彩色
・聖観音菩薩立像:造立年:平安時代後期/像高:360㎝/造立様式など:木造彩色
・地蔵菩薩立像:造立年:平安時代後期/像高:360㎝/造立様式など:木造彩色
・釈迦如来坐像:造立年:平安時代後期/像高:360㎝/造立様式など:木造彩色
・四天王立像:造立年:平安時代後期/像高:360㎝/造立様式など:木造彩色
・毘沙門天立像:造立年:平安時代後期/像高:360㎝/造立様式など:木造彩色
・妙見菩薩および二侍者立像:造立年:平安時代後期/像高:360㎝/造立様式など:木造彩色

その他の宝物類一覧

・竜びんじょく(1枚):縦:72㎝/横:77㎝/鎌倉時代【重要文化財】
・鴟尾残欠:高さ70㎝/白鳳時代
・菩薩面(2つ):縦:21.3㎝/縦22㎝/木造彩色/鎌倉時代

塔心礎納置銅壺【重要文化財】

高さ8.5㎝/口径7.1㎝/胴径11.3㎝/底径7.3㎝/白鳳時代

1739(元文4年)の三重塔の修理時に塔の心礎より発見された銅壺になります。仏舎利縁起では1741年(寛保元年)3月5日に法輪寺の僧侶宝祐が発見したときの様子を書き記した書物です。

妙見堂

創建年(現在のもの)

  • 1731年(享保16年)※江戸時代
大きさ

  • 横幅:三間(約6m)
  • 奥行:三間(約6m)
建築様式(造り)

  • 入母屋造り
御本尊

  • 妙見菩薩像

現在の堂宇は1731年に妙見山より現在地に移築されたものだと伝えられています。収蔵庫の後方にある建物(お堂)です。

例年、御本尊「妙見菩薩」の御縁日である4月15日に妙見会式が厳修され、堂内および妙見菩薩立像が特別一般公開されます。

この法要では、所願成就のご利益があるとされる花びらを模した散華が参拝者に授与されます。

おばあちゃんの家

おばあちゃん家とか勝手にホザいていますが、だって本当におばあちゃん家に行ったときみたいな匂いがするんだモン!さらに外観もおばあちゃん家そのものなんダヨ。ピヨピヨぽんっ!

・・

・・はい。さて、おばあちゃん家とは言っていますが、この建物は、法輪寺での催し物があるときやその他イベント時にしか一般解放されていません。

宝物展が開催される時は建物内にガラスケースが設置され、法輪寺に伝わる宝物が展示されています。

1部屋10畳敷きくらいの部屋が2つあり、それぞれの部屋に2つくらいの横長のガラスケースが置かれ、その中に法輪寺に伝わる寺宝が展示されています。

2019年度は「江戸時代の法輪寺」いうテーマだったので、江戸時代に法輪寺にもたらされた宝物や書物が展示されていました。

なお、おばあちゃんの家への入場料金は無料です。(法輪寺の拝観料金に込み)

地蔵堂

収蔵庫の裏側、上記、妙見堂を向かい見て右脇にはお地蔵さんが安置される地蔵堂があります。

鐘楼と梵鐘

いつ頃建てられたものは不明ですが、小規模な鐘楼と梵鐘が境内の端に建てられており、鐘は今でも時を告げる目的で現役で撞かれています。

鐘楼の柱にはこのような張り紙があります。

この鐘は時を告げるための鐘です。みだりに鳴らさないようにお願いいたします。 法輪寺

一般参拝者はみだりに鳴らしてはいけないことになっていますので、くれぐれもご留意のほどを。

会津八一歌碑

「会津八一」とは美術史家であり、法起寺三重塔の露盤銘の論文でも有名な人物です。雅号は秋艸道人(しゅうそうどうじん)。それまで信憑性の薄かった露盤銘が会津八一氏の発表により、現在に至るまで本物と断定されるに至っています。

会津八一氏が奈良に興味を抱いたキッカケが1908年に奈良旅行をしたときです。このとき奈良の仏教美術への関心を示し、さらに、この旅行においてこれまでの俳句から短歌への創作意欲にかられます。

以来、作品のほとんどが短歌調で作られています。

実は会津八一氏にはいくつもの俳句や短歌がありますが、法輪寺の会津八一の石碑にはこう刻まれています。

くわんおん の しろき ひたひ に やうらく の かげ うごかして かぜ わたる みゆ

会津八一『鹿鳴集』(1940年)より

観音の白き額に瓔珞の影動かして風わたる見ゆ

西門(上土門)【県指定文化財】

創建年(現在のもの)

  • 不明
  • 室町時代後期〜江戸時代前期
門の建築様式(造り)

  • 上土門(あげつちもん)

法輪寺境内の西側ある小さな門です。関係者しか通行できないことから一般参拝者とは縁のない門なので素通りされる方がほとんどだと思います。

ただ、この門構えを見れば一目で変わった門やぬぅわ〜・・などと思っちまうのですが、この理由は、昭和54年の解体修理の際、かつて板葺きの門であったことが明らかにされており、現在旧容に復原されているからです。門の全景は上土門に類似しています。

「上土門」とは?

別名で安土門(あずちもん)とも呼称し、平安時代以降、平らな屋根の上に土をのせて造った門のことです。近世では檜皮葺(ひわだぶき)で葺かれる門も出没しています。

つまり、現在の西門は創建当初に姿だということになります。ただし、創建当初は現在地に建てられていたワケではなく、法輪寺子院の表門だったようです。

これを江戸時代以降に現在地に移築したきたものだと考えられています。

南門

南門は法輪寺の拝観出入口となる門です。この門を入ると左側に拝観受付があります。この拝観受付では拝観することを前提に御朱印をいただくことができます。

ちなみに南門の前にある「下馬石」は太閤秀吉の発願で弟の秀長が建てたものです。すなわち安土桃山時代の石コロになります。

手水舎と拝観受付(ミニ寺務所)

南門(拝観出入口)を入ると写真のような小さなミニ寺務所があります。その手前に手水舎も。手水舎の作法は寺院も神社も基本、同じ。

  1. 右手で柄杓を持ち、左手にかける
  2. 今度は左手に柄杓を持ち替えて右手にかける
  3. 今度は右手に柄杓を持ち替えて左手の手のひらで水を受ける形で注ぐ
  4. それを口元へ運び口を濯ぐ(このとき、柄杓に直接口をつけるのは誤り)
  5. 口元を手のひらで隠して下へ口に含んだ水を落とす
  6. 唾液にまみれた左手を残った水で洗い流す
  7. 最後に柄杓を立てて柄杓の持ち手を清めながら水を下に落とす
  8. 柄杓を元あったように伏せて綺麗に並べる

休憩所(ベンチ)

境内は広くはありませんが、よく公園で見かけるワンカップ片手に酔っ払っているオっちゃんが気に入りそうな、何とも味わい深いバス停ベンチが置かれています。

このベンチに座ってはたして何を観るんでしょうか。

目の前の木の葉っぱをジぃ〜っと観て楽しむんでしょうか。

ちなみに境内には自販機のようなものはありません。さらに基本、境内は禁煙です。

丸軒瓦

⬆️南門の瓦「法輪寺」と刻まれている

⬆️西門の瓦「三井寺」と刻まれている

法輪寺は別名で「三井寺」とみ呼称することをお伝えしましたが、その証拠が西門に連接される土塀に見られます。

ちょっと西門に連接される土塀の丸軒瓦をご覧になってみてください。

「三井寺」とハッキリと浮かし彫りでで刻まれています。

一方で南門に連接される土塀の瓦には「法輪寺」と刻まれているのが分かります。これはおそらく南門の瓦の方が比較的、最近に作られたのではないでしょうか?

このように細部まで見ることによってより味わい深い有意義な拝観が楽しめるというものです。

奈良・法輪寺の「御朱印の種類・値段・場所」

奈良・法輪寺でもオリジナルの御朱印を授与することができます。

御朱印の種類は5種類あり、中には期間限定の御朱印も存在します。

「薬師如来」の御朱印

法輪寺の基本の御朱印です。窓口でお願いすると大抵、この御朱印を授かることができます。

中央に「薬師如来」の墨書きと押印が2箇所あります。

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「釈迦如来」の御朱印(法輪寺の期間限定の御朱印)

この御朱印は旧・国宝「三重塔」の「再建記念日(特別展)」にのみ、授与していただける法輪寺の「期間限定の御朱印」となります。

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「虚空菩薩」の御朱印

同様に中央に「虚空菩薩」の墨書きがあります。
薬師如来と同じ押印が中央に2箇所あります。

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「聖徳太子霊跡16番札所」の御朱印

中央に「山背王誕生水」と墨書きされ、右上に「聖徳太子霊跡16番札所」の押印があります。

大和北部八十八箇所霊場第53番札所の御朱印

中央に「十一面観音」と墨書きがあり、右上に「大和北部八十八箇所霊場第53番札所」の押印があります。

御朱印の値段

  • いずれも300円
授与場所

  • 法輪寺境内寺務所(拝観受付)

法輪寺のお守りの種類・お布施(値段)一覧

※堂内は写真撮影が禁止されています。写真はお借りしたものです。

北辰妙見菩薩お守り

北辰とは、「北極星」のこと意味します。日本では妙見信仰と結びつき、諸願成就のご利益があるとされてきました。

その妙見菩薩が持つとされる所願成就のご利益が込められたお守りです。

  • 白色:1体300円
  • 別製:1体500円
  • ご利益:諸願成就

ゆめまもり

法隆寺の夢殿のお守りと類似したお守りです。

  • 1体:1000円
  • ご利益:夢が叶う!

鴟尾瓦土鈴

鴟尾瓦土鈴(しびどれい)とは、法輪寺の宝物である鴟尾瓦をモチーフとして謹製された土鈴です。いわゆる縁起物ですが、御本尊の仏力がお宿りしています。

  • 1体:1000円
  • ご利益:火難除け

奈良・法輪寺の「見所(見どころ)重要文化財・仏像一覧」

奈良・法輪寺「木造弥勒菩薩立像」【重要文化財】

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造立年

  • 不明
  • 794年(延暦13年)から1185年(文治元年)平安時代
像高

  • 157.3cm
造立方法

  • 一木造
材質

  • 檜(ヒノキ)
重要文化財指定年月日

  • 1899年(明治32年)8月1日

法輪寺「木造弥勒菩薩立像」の歴史・特徴

「木造地蔵菩薩立像」や「木造吉祥天立像」と同様にかつては金堂に安置されており、現在は講堂に安置されています。
造立当初は、極彩色の像であったとされ、部分的に彩色が残っています。

奈良・法輪寺「木造地蔵菩薩立像」【重要文化財】

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造立年

  • 不明
  • 900年(昌泰3年)から1000年(長保2年/平安時代)
像高

  • 149.8cm
造立方法

  • 一木造
材質

  • 檜(ヒノキ)
重要文化財指定年月日

  • 1923年(大正12年)3月28日

奈良・法輪寺「木造地蔵菩薩立像」の歴史・特徴

木造吉祥天立像と同じく、もとは境内の金堂で安置されていた仏像です。現在は講堂で安置されています。
一見すると素木造りの素朴な像に見えますが、造立当初は極彩色であったそうです。

地蔵菩薩とは?

地蔵菩薩は、釈迦如来が入滅し、弥勒菩薩が現れるまでの間、人々を救済してくれる菩薩です。

弥勒菩薩は釈迦の非常に優秀な弟子で、将来は人間界に如来として現れ、入滅した釈迦の代わりに人々を救うことになっています。

しかし!その「将来」というのは、実に56億7千万年後だということなのです!

56億7千万年も間、現世に仏がいなくなってしまっては大変です!

そこで、地蔵菩薩の出番となるわけです。

浄土宗・浄土真宗などの浄土教系の宗派では、人間は「六道(ろくどう)」という6つの世界を何度も生まれ変わりながら巡っていくと考えられています。

  • 六道とは:地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天

地蔵菩薩は、この六道を、姿を変えながら巡り歩き、すべての衆生(生き物)を救うとされています。

地蔵菩薩像が、如意宝珠と錫杖(しゃくじょう)を持ち、袈裟を着た僧の姿で表され、寺院の堂内だけでなく道端に置かれることが多いのは、地蔵菩薩が、六道を旅する仏だからです。

また、地蔵菩薩が「六道」を旅するということから、地蔵菩薩像は6体一緒に置かれることもあり、これは「六地蔵」と呼ばれます。

地蔵信仰が広まったのは平安時代のことでしたが、貴族階級だけでなく、極楽往生するために現世でお金をかけられない平安時代の庶民たちの間にも普及しました。

それもそのはず、地蔵菩薩は、たとえ生まれ変わった先が地獄でも、救いの手を差し伸べてくれるのですから!

ええっ!?地蔵菩薩は閻魔様なの!?

中国では、閻魔を含む10人の王が死んだ人の罪の審判を行うという「十王信仰」があり、これが「地蔵十王経」として日本に伝わりました。
平安時代の日本では、「本地垂迹説」という、神様は仏様の仮の姿であるとする考えが広まり、地獄の王たちも仏の化身だと考えられるようになりました。
これによると、閻魔も仏の仮の姿であり、その仏とは、なんと、地蔵菩薩だとされたのです!
このような考え方は、現世で悪巧みを働いて地獄へ落ちかけた際、功徳が少しでもあれば地蔵菩薩が閻魔大王に取り入って、極楽浄土へお連れ下さるということで、広く認知されるようになりました。
地蔵菩薩の仮の姿だとされる神には、他にも、愛宕神や天児屋命(あめのこやねのみこと)などがいます。
このように、色々な神や信仰と結びつきながら、地蔵菩薩は日本人にとってもっとも身近な仏様になっていったのでした。

お地蔵さまに子供の成長や水子供養など「子供に関しての祈願をする理由」

ちなみに地蔵菩薩に「ヨダレかけ」や「お菓子」を供えて子供の成長の祈願する理由は、水子信仰に起因するものです。

幼くして亡くなった子供は功徳を積む時間がなかったので「賽の河原(さいのかわら/三途の川の岸辺)」へと流されます。..いっぺん死んでみるぅ?(by.地獄少女)

そんな哀れな子たちを救うスーパーマンが地蔵菩薩です。

奈良・法輪寺「木造吉祥天立像」【重要文化財】

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造立年

  • 不明
  • 950年(天暦4年)から1000年(長保2年)平安時代
像高

  • 171.3cm
造立方法

  • 一木造
材質

重要文化財指定年月日

  • 1923年(大正12年)3月28日

奈良・法輪寺「木造吉祥天立像」の歴史・特徴

創建以来、金堂に安置されていた仏像です。現在は講堂内で安置されています。
「吉祥天(きっしょうてん)」は「吉祥」の「天」と書きます。
「吉祥」とは古来から「良いことが起こる兆し」のことを指します。
祈りを捧げることで運気がUPするかもしれません。ウフ


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奈良・法輪寺「竜鬢褥」【重要文化財】

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製作年

  • 不明
  • 593年(推古天皇元年)から784年(延暦3年)平安時代
大きさ

  • 縦72cm
  • 横77cm
造立方法

  • 一木造
材質

  • 藺(い)・絹
重要文化財指定年月日

  • 1959年(昭和34年)6月27日

奈良・法輪寺「竜鬢褥」の歴史・特徴

「竜鬢褥」とは「りゅうびんじょく」と読み、わかりやすく言うと「い草」で製作された飛鳥時代から奈良時代の「御座(ござ)」です。
「麦わら」と「いぐさ」を用いた5色の糸を作り、刺繍を施し図様を表現しています。

奈良・法輪寺「塔心礎納置銅壺」【重要文化財】

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製作年

  • 不明
  • 593年(延暦13年)から645年(文治元年)飛鳥時代
大きさ

  • 総高8.5cm
  • 口径7.1cm
  • 胴径11.3cm
  • 底径7.3cm
材質

  • 銅製
重要文化財指定年月日

  • 1960年(昭和35年)6月9日

奈良・法輪寺「塔心礎納置銅壺」の歴史・特徴

旧・法輪寺の国宝「三重塔」のお宝です。
三重塔の「心礎(しんそ)」と呼称される「心柱の下に敷く石」の穴の中に埋まっていた「骨壷(仏舎利)」です。
三重塔創建時(飛鳥時代・白鳳期)に製作されたとされる歴史ある壺です。

※上記の画像は「参考画像」です。

奈良・法輪寺「宝塔文磬」【重要文化財】

 

製作年

  • 不明
  • 1050年(永承5年)から1185年(文治元年)平安時代後期
大きさ

  • 24cm
製造技法

  • 鍍金加工
  • 絃(裾張り)
材質

  • 銅製
重要文化財指定年月日

  • 1953年(昭和28年)3月31日

奈良・法輪寺「宝塔文磬(多宝塔文磬)」の歴史・特徴

「磬(けい)」とは、中国の打楽器の一種で、戦いの時に合図としても鳴らしていたそうです。
日本へは奈良時代に伝来し、銅や鉄で製作された「磬」を仏教に取り入れ、主に読経の際に鳴らして使用していたようです。
※上記の画像は、長野県駒ヶ根市の「長春寺」の「磬」です。

奈良・法輪寺「鴟尾残闕(鴟尾瓦)」【重要文化財】

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製作年

  • 592年(崇峻天皇5年)から710年(和銅3年)飛鳥時代
大きさ

  • 高さ:約70cm
  • 前後の長さ:約54cm

奈良・法輪寺「鴟尾残闕(鴟尾瓦)」の歴史・特徴

法輪寺の鴟尾は創建当初・飛鳥時代の講堂跡から出土した歴史あるお宝の1つです。
「鴟尾(しび)」の「鴟(し)」は「鳥類のトビ(トンビ)」を意味しますが、古代中国では「蚩(し)」と読み、「海に棲まう海獣(怪獣)」のことを意味したようです。
「鴟」は、一応、空想上の生き物とはなりますが、水を自在に操れたと言います。
そんな理由から「雨乞い」や「火事」などの「水に関する加護の目的」で屋根の上の左右の端に「鴟」を崇める形で取り付けたそうです。

実は現代に至ってもこの風習は残っており、一般的には「鯱(シャチホコ)」として名前が知られています。
名古屋城の「金色の鯱(しゃちほこ)」が有名ですが、寺の鴟尾としては東大寺の屋根上の「金色の鴟尾」が有名です。

奈良・法輪寺の「拝観料金(入場料金)・拝観可能時間(営業時間)・定休日」

拝観料金

  • 大人:500円
  • 中学生・高校生:400円
  • 小学生:200円
割引※団体割引(30名以上が対象)

  • 大人:400円
  • 中学生・高校生:320円
  • 小学生:160円
拝観可能時間(営業時間)

  • 3月~11月末日:8時から17時まで
  • 12月~2月末日:8時から16時30分
定休日

  • なし(年中無休)

奈良・法輪寺へのお問い合わせ「住所・電話番号・URL・駐車場」

奈良・法輪寺の駐車場(駐車料金・営業時間・定休日など)

奈良・法輪寺の駐車場は法輪寺の境内入口の前に「三井観光駐車場」があり、無料で駐車できます。

  • 駐車料金:無料
  • 駐車可能時間(営業時間):8時30分から17時まで(法輪寺の開門は朝8時~)
  • 定休日:なし

法輪寺へのアクセス(行き方)

法輪寺へのアクセス方法については下記ページをご参照ください。

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