奈良県・法隆寺の五重塔の見所(見どころ)「歴史・由来・建築様式(内部の構造)・作った人・作り方・作った理由・特徴」

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奈良県・法隆寺の五重塔の見所(見どころ)「歴史・由来・建築様式(内部の構造)・作った人・作り方・作った理由・特徴」

奈良県・法隆寺の五重塔の見所(見どころ)「歴史・由来・建築様式(内部の構造)・作った人・作り方・作った理由・特徴(仏舎利など)」

創建年

  • 605〜607年(推古天皇13年から15年頃/飛鳥時代)
再建年

  • 680年頃/飛鳥時代【国宝】
重要文化財登録指定年月日

  • 1897年12月28日(明治30年12月28日)
国宝指定年月日

  • 1951年6月9月(昭和26年6月9日)
重塔の高さ

  • 32.45m
礎石より

  • 約31.5メートル
礎石の高さ

  • 地下1.5m
建築様式(造り)

  • 雲斗
  • 雲肘木
  • 角垂木
  • 一軒・五重
大きさ

  • 三間(5.5m)
屋根造り

  • 本瓦葺
4隅の柱の製作年

  • 1604年(慶長9年/安土桃山時代)
1階(初層)裳階(もこし)の素材

  • 板葺
相輪(そうりん)の製作年

  • 1696年(元禄9年/江戸時代初期)
塔の中央の心柱の伐採年

  • 推定594年
塔の中央の心柱の設置方式

  • 掘立柱(地中埋め込み式)
雲斗雲肘木って何?

「雲斗雲肘木(くもと ひじき)」とは、雲の形をした建築の部品のことをいうのでレスぅ。..プぅ。

主に飛鳥時代に用いられたので..プぅ。

雲斗雲肘木(くもと ひじき)とは、雲の形をした建築の部品のことです。

じゃあ「角垂木」て何?

垂木とは屋根に裏側で屋根を支えるための木のことレス。垂木には加工方法が建築物によって異なり丸く加工を施す「丸垂木」と四角の形の「角垂木(かくたるき)」とに分かれるのレスぅ。…プっ!

角垂木(かくたるき)」て何?

法隆寺の境内の敷地の面積からみる「法隆寺・五重塔の広さ(面積)」

この奈良・法隆寺の境内は「18万7000千平方メートル」あります。

このように、漠然として数字で表すとなかなか分かりにくいものです。

しかし、数の例えに、よく利用される「東京ドーム」を例にあげますと、なんと!!驚くことに「東京ドーム」が、ざっと4個分の敷地の広さを誇ります。
※「東京ドーム」1つ「4万6755平方メートル」

あまり知られていない、法隆寺五重塔で行われた実験とは?

2006年に、法隆寺の五重塔の心柱の実験が行われました。

この実験は具体的にどのような実験かといいますと、心柱の有りと無しの時にマグニチュードいくらぐらいの振動(地震)に耐えられるかの実験が執り行われました。

この実験の結果、驚くべきことが分かります。

なんと!!あの最悪と言われてた「阪神・淡路大震災(兵庫県南部大震災/M7.3)」に、塔身を崩さずに耐えたそうです。

つまり、マグニチュード7.3の振動に耐えたこととなります。

ちなみに、この結果ですが、さらに驚くことになんと!!「心柱が有りの時・無しの時」でも、関係なく耐え切ったそうです。

つまり、法隆寺の五重塔は、自然災害(地震/強風)などの振動を計算されて、造営された重塔であることが判明しています。

他に分かることは、「それだけの技術をもった職人や設計士が存在した」ということになります。

ちなみに、この法隆寺の五重塔の心柱ですが、なんと!おおよそ590年代に伐採されたヒノキ(檜)であることが判明したそうです。


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奈良 法隆寺の五重塔の「作者(作った人)」っていったい誰?

法隆寺の創建は607年、推古天皇と聖徳太子によって建造されたと伝えられています。

しかし、670年(天智9年/飛鳥時代)4月30日に法隆寺は、火災で全焼して、その後に境内の伽藍すべてが、再建されたと云われております。

つまり、現在みることのできる、法隆寺の境内のお堂などの建屋は、近年の調査の結果、西暦700年頃の再建であると云われております。

この調査は五重塔・中門の修繕時の廃材や、部材などを使用し、分析を行って判明したそうです。

法隆寺・五重塔をも襲った大火災

実は法隆寺が創建された後、925年に「講堂」と「鐘楼」が、1435年には「南大門」が、落雷により焼失したと云われていますが、幸運なことに、以下のような年代に再建されております。

  • 講堂:990年(正暦元年)に再建
  • 東院の鐘楼:1163年/鎌倉時代に再建
  • 西院の鐘楼:1005年から1020年(寛弘2年から寛仁4年/平安時代中頃)
  • 南大門:1438年(永享10年)

以上のような形で再建され、今に至っています。

法隆寺・五重塔が創建された理由

聖徳太子の父、用明天皇が病気になった際、薬師像を祀るために建立を計画したというのが、創建の経緯とされています。

人の体の異変を、科学的に説明できない時代、頼みの綱は何と言っても仏様だったワケですね。

とはいえ、それにしても大きい法隆寺、この創建に関しても諸説(色んな説)あるのが現状です。

このように実は謎も多い法隆寺ですが、はるか1400年昔から今まで守り受け継がれ、人々の信仰を集めてきたということは事実です。

そして、1993年には、日本で初となる、世界文化遺産に登録されています。

奈良・法隆寺の五重塔の歴史と耐震構造(建築様式と造り方)

奈良・法隆寺の五重塔の歴史と構造(建築様式と作り方)上述でもご紹介しておりますが、法隆寺五重塔は、現存する木造五重塔としては世界最古と云われております。

現在、みることのできる法隆寺の五重塔ができたのは、火事で全焼した後の、「文武天皇4年(700年頃)」とされています。

法隆寺・五重塔の建築方法「積み上げ構造」の恐ろしさ

法隆寺・五重塔は、「積み上げ構造」と呼ばれる、各重ごとに独立して組み立てたものを重ねて建てる建築方法です。

「積み上げ構造」とは、建物を支えるための、木組みだけを組んでゆき、敢えて固定ぜず、組まれた各部材が、揺らすと、少し揺らぐようにして、空間を作って建造していきます。

これは一見、手抜き工事のように見えますが、このようにすることで、地震が来ても、揺るく組まれた各部材が機能して、地震の揺れを吸収し、簡単に倒れないような工夫が凝らせてあるのです。

逆に、ガッチリと一体化させ固めてしまう建築方法を「剛構造」といいます。

このような建築方法は、今の現代では、建造物を造る上では、法律違反になってしまう構造となります。

しかし、1300年以上も、この五重からなる重塔を地震から守ってきたのは、まさしく、この建築方法であります。

ちなみに、この五重塔の作り方は、なんと!!現代でも真似されているというのですから、驚きです。

それで、法隆寺・五重塔の何が真似されているの?

これを聞けば腰を抜かしますが、なんと!!!あの「東京スカイツリー」などの、世界の高層建造物に、この法隆寺を元とした、重搭の建築方法が、お手本になっているというから、本当に摩訶不思議の驚きです!

それで、法隆寺・五重塔-東京スカイツリー-

これだけ発展した現代の世に、1000年以上も前の技術が使われているのには、本当に腰を抜かさずにいられません。

どっひゃ~!! 

….。…。

法隆寺・五重塔の建築様式の特徴

法隆寺・五重塔は、すべて「ヒノキ(檜)」で造られ、「芯柱」と呼ばれる、1本の柱によって、土台から上まで貫かれています。

一見してわかる特徴は、一番下から上に行くにつれて、屋根が小さくなっているということです。

あなたが、もし、法隆寺へ訪れた際は、ぜひ、見てみてください。

女性のAラインワンピースのような形になっていることがわかります。

注意点としては、見る際は、少し後ろに下がって距離間とって見てみてください。

容姿がAラインの五重塔は、年代が古い証拠!↑「緩やかにAラインになっているのが分かりますか?」

容姿がAラインの五重塔は、年代が古い証拠!

この五重塔は、現在において、幾度も調査が行われてきました。

その調査の結果、五重塔が建立された時代が、昔に戻れば戻るほど、一段一段の屋根の大きさの差は大きく異なり、逆に時代が現代へ近づくにつれて、差が小さく(同じに)なっていくそうです。(=逓減率)

つまり、分かりやすくいいますと、以下のようになります。

法隆寺の創建当初 ⇒ やや昔(約1600年まで)

地上の屋根が一番大きく、天井の屋根が一番小さい(緩やかなAライン)

やや昔(約1600年代) ⇒ 現代

地上の屋根も、天井の屋根も、屋根の広さが同寸(同じ)

※注釈※ 五重塔の「逓減率・一覧」

逓減率(ていげんりつ)=減少率(狭まる率)

逓減率:「0.5~1.0」の五重塔

・法隆寺五重塔(700年前後):逓減率0.5
・海龍王寺(700年代半ば):逓減率0.447
・京都の醍醐寺五重塔(951年):逓減率0.61
・興福寺(1426年):逓減率0.69
・山口の瑠璃光寺五重塔(1442年):逓減率0.68

逓減率が「~1.0」に近い五重塔

・京都の東寺五重塔(1644年)
・京都の仁和寺五重塔(1644年)
・栃木の日光東照宮五重塔(1818年)

※奈良の室生寺五重塔(800年頃)古いが逓減率が小さい。

【補足】五重塔の各層の面積(大きさ)

法隆寺五重塔は3間(5.5m)の正方形をしており、これが最上階となると、約半分の大きさになるそうです。

つまり、初層から約50cmから60cmずつ、小さくなっていることが分かります。

寺院に重塔がある理由とその由来

あなたがもし、寺院に重塔があるのが不思議だと考えていたなら、あなたのニックネームは今日から「博士」です。いや、本当に。・・いよっ、博士っ!

・・はい!と、いうワケで、少し脱線してしまいましたが、これも驚くことに、なんと!!寺院の重塔は従来、お釈迦様の遺骨である「仏舎利」を納めるための建物だと云われております。

他にも、五重塔は、そもそも初層(1階)から以下のような仏教的要素のもと、建立されているものであると云われております。

  • 「地(基礎)」
  • 「水(塔身)」
  • 「火(笠)」
  • 「風(請花)」
  • 「空(宝珠)」

これらの5つを「仏教における5大思想」として、仏教の世界観を表現しており、壮大で果てのない、「無限」という仏教の悟りの境地に例えた「宇宙観」を表現していると云われております。

しかし、法隆寺・五重塔には、「ガラス製の舎利壺」と、これを納めるための「舎利容器」があることがわかっています。

これがどのようなことかといいますと、法隆寺の五重塔には「仏舎利」ではなく、「供養した金や銀」、「宝石」などが納められているそうです。

法隆寺五重塔・内部の「塑像(涅槃像)」

また、法隆寺・五重塔の最下段には、多くの「塑像(そぞう/粘土造りの像)」が安置され、その塑像のうち、なんと!80点ものが国宝に指定されています。

この「塑像」を見るには、塔の外から、「金網越し」に見ることになるので、少々見づらいですが、是非、頑張ってみてください。

ちなみの、この「塑像(粘土造りの像)」ですが、作る材料が限られていた為か、この時代の仏像には、数多く造られていたそうです。

このように、法隆寺には、仏教にまつわる様々な場面が、境内の東西南北に別れて表されています。

法隆寺・五重塔「塑像(涅槃像)」については以下↓の当サイトの別ページでご紹介しております。

最後に・・

いかがですか?

広い法隆寺の境内で、それぞれの建物をしっかり観察するのは少し大変ですが、ちょっとだけでも知識があれば、見る目も変わってもっと楽しめますよね!

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