奈良 法隆寺・中門(金剛力士像)【国宝】

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奈良 法隆寺・中門(金剛力士像)【国宝】

奈良 法隆寺・中門(金剛力士像)【国宝】

創建年

  • 不明
  • 推定593年から709年(飛鳥時代)
再建年

  • 1903年(明治36年
  • 2015年(平成27年
大きさ(梁間=横幅)

  • 三間:約5.5m
  • 二戸四間:約7.2m
建築様式(造り)

  • 入母屋造
屋根造り

  • 本瓦葺
門の形式

  • 二重門
重要文化財指定年月日

  • 1897年(明治30年)12月28日
国宝指定年月日

  • 1951年(昭和26年)6月9日

法隆寺・中門の読み方

法隆寺の境内には難しい漢字の表記で読みにくい名前の仏像や堂舎が存在しますが、「中門」は「ちゅうもん」と読みます。

法隆寺・中門の建築様式(造り)

二重門とは、一見すると楼門のように見えますが、楼門は2階部分に屋根がなく「縁(=廊下)」がまわっています。

二重門とは、単純に2階立ての門で各階に屋根が備え付けられている門です。

そして、もちろんの事、文化財が立ち並ぶ、法隆寺の中門は【国宝】に指定されている由緒ある歴史的建造物です。

法隆寺の中門は、南大門とは対照的に彫刻の装飾がなく、質素。けれども堂々とした、「法隆寺の門」と呼べるに相応しい、実に豪壮感に満ち溢れた門です。

中門を少し離れた場所から見ると、向かって「左に五重塔」、「右に金堂」、「手前に立派な松」が生い茂り、見事な構図の景色が視界に入り、「今まさに法隆寺に来ているんだ!」・・などと興奮気味になってしまうような、素晴らしい景色が見られます。

しかしこの門、現在は出入口としては使われていません。参拝客は中門脇の回廊から回り込んで、中に入ります。

奈良時代以前の寺院は一般的に南大門より中門が立派に作られているそうですが、こちらも例外ではありません。

尚、この中門は2016年(平成28年)から約110年ぶりに再建工事(補修)が開始されています。

この再建工事では、雨漏りの激しい屋根瓦の葺き替えと、傾いている基壇の石を入れ替えするとのことです。

瓦は約1万6000枚あり、これらの瓦を一度、すべて屋根から降ろして使用できる瓦のみを再利用するようです。

工事の終了予定は平成30年とのことです。

中門の修理が2019年(平成31年)1月に無事完了!

2016年から修理が行われていましたが、2019年1月に修理が完了しています。

なお、修理後も変わらず中門は通行できなくなっていますので、ご注意のほどを。オホ

エンタシスの柱

「エンタシス」と呼ばれる、上下の端が細く、その間が太い様式で作られた柱があります。

日本では、600年代に創建および再建された法隆寺より後の時代の建造物には見られない様式の柱です。

エンタシスの柱の形状に関しての詳細は当サイトの以下↓のページでご紹介をしています。

欄干の卍崩し(まんじくずし)

この中門の欄干も、金堂で見られるような「卍崩しの欄干」が据えられています。

卍崩しとは、欄干の特殊なデザインのことです。

ラーメンを入れるラーメン茶碗の「中華模様」に似ています。

ラーメンの話をすると何だか本当にラーメンを食べたくなってきました。天一のコッテリ最高

・・こホンっ!

柱間が4つ柱が5本!

中門の柱をよく見ると5本あり、すなわち間口が4つあるのが目視できます。通例では柱は4本で造り、中央は出入り口として開放しておくものです。

⬆️東大寺南大門。間口が5つで中央3つが出入り口(3戸)。柱が偶数(6本)
⬆️四天王寺南大門。間口が3つ。中央が出入り口になっている。柱が偶数(4本)。
⬆️法隆寺中門の柱はなんと!5本!!で奇数のため、間口が4つになる。そのため中央2つ分が出入り口にあてられている。

ところがドッコイ!柱が5本あるために中央出入口のど真ん中に柱がきてしまい、言い方は悪いですが邪魔になっています。

実は中門に柱が5本据えられているのには理由があり、一説では聖徳太子の祟り(たたり)を門より外に出さないための呪い(まじない)だと云われています。

いずれにしてもこの柱については謎です。

えぇっ?!奥行きが3間で柱が合計20本??

この中門の見どころはこれではまだ終わりません。なんと!!奥行きが3間あります。

奥行き3間ということは3つの間があるということになり、つまりは普通の寺社の門を正面から見た時と同じく柱が4本ある計算になります。

この中門を表面から見ると柱が5本あるので、合計でなんとぉぅ!!柱が20本ある計算になります。


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奈良 法隆寺「中門・金剛力士像(仁王像)」

法隆寺中門・金剛力士像「阿形(あぎょう)」【重要文化財】

法隆寺・金剛力士像「阿形(あぎょう)」【重要文化財】

造立年

  • 711年(和銅4年/天平時代)
大きさ

  • 像高:380cm
材質

  • 塑像(粘土)

法隆寺中門・金剛力士像「吽形(うんぎょう)」【重要文化財】

法隆寺・金剛力士像「吽形(うんぎょう)」【重要文化財】

造立年

  • 711年(和銅4年/天平時代)
大きさ

  • 像高:379cm
材質

  • 塑像(粘土) 
作者

  • 不明

木舞造りと「仁王像(塑像)の作り方とその素材」

現在、多くの寺院で見ることのできる仁王像は、おおむね一本の木を彫り抜いた「一木造り(彫り)」と呼ばれる技法が用いられています。

これら一木彫りの仏像は平安時代に造立された像に多く見受けられます。

しかし、法隆寺の仁王像は木で彫った物ではなく、粘土で塗り固められれたものなのです。

通常は「心木」と呼ばれる木材を中心として、竹などの軟質の木材を集めてきて、それを細かく縦の筋状に裁断します。

その後に、自らの創りたい形の造形に整えて、縄でククリ付けて組んで行きます。

組み終えた竹に粘土を用いて、自らの頭の中のイメージを模して造形していきます。こうして、塑像が完成して行くのです。

しかし、この仁王像のように大きな物に関しては木材とは違い、金属に近い物質も用いられました。その代表的となるものが「銅」です。

銅を細く長細い形状に加工して、それを組んで形を整えて行きます。形を整える際は、縄などでククリ付けてうまく形状を確保していきます。

その後、粘土で形を整えていき最後の調整として、粘土を削って形を整えていきます。

作成し終えた後は、自然乾燥によって乾かして完成です。

このようにして、作成された塑像が、近代化された現代に至るまで、数千年もの間、ほぼ野ざらし状態で現存していること自体が、本当に奇跡という他ありません。

まさに、卓越した先人の職人たちの知恵と技術と職人魂の結晶と言えます。

なお、法隆寺の中門の金剛力士像は、国の重要文化財指定を受けています。また、国内に現存する仁王像の中では最古のものになります。

法隆寺の仁王像も「吽形」と「阿形」の対!

法隆寺の金剛力士像も通常の金剛力士像に見られるような「吽形(うんぎょう)」と「阿形(あぎょう)」です。

法隆寺に伝わる「法隆寺資財帳」には、「747年(天平19年)に造立された」旨の記述が残されており、これが造立年の証拠になっています。

後の時代の度重なる補修において見た目は多少変わってしまっているようですが、風雨が容赦なくあたる場所に約1200年以上立ち続ける立派なお姿です。

現代に至るまでに修繕費用や技術的な関係で大規模な補修には至らずに、上から粘土を塗り重ねるなどの補強がされていたようで、造立当時の面影は像の奥に封印されたままとなっています。

が、しかし!1200年です。・・とてつもない年数です。

・・ハッキリ言って、驚きを通り越して言葉がでません。

造立当初は甲冑姿だった可能性もある?!

天平時代に造立された仁王像の多くは甲冑を身につけた姿で造立されていますが、法隆寺の仁王像は上半身素っ裸のお姿です。梅干しの種サイズのビーチクがピンコ立ちしている様子までもがリアルに表現されています。

これらは後の時代で修理されたことを物語る証拠とも言えますが、ひょっとすれば造立された当初は甲冑を身につけていたとも考えられます。

さらにつけ加えれば天平期に造立された仁王像の多くは「門」ではなく、「堂内」に安置される例がほとんどなので、ひょっとすればかつては堂内で安置されていた・・などとも考えることができます。

ちなみに双方の仁王像ともに頭部のみが天平時代のもので、頭部より下は後補のものです。「赤っぽい阿形の仁王像」は木心塑像、「黒っぽい吽形の方の仁王像」は、室町時代の大修理で部分的に木造になってしまっています。

なお、仁王像の前には木柵が設置されている程度で金網などは張られていないので、写真を撮ってもキレイに撮影が出来るハズです。

法隆寺・中門の場所(地図)

法隆寺・中門は金堂五重塔を守護する門であり、金堂・五重塔の南側に位置します。

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