法隆寺・百万塔(ひゃくまんとう)【重要文化財】
推定造立年(制作年)
764年(天平宝字8年)※奈良時代
建築様式(造り)
木地轆轤細工(木製)
法隆寺・百万塔の大きさ
総高:約21.5cm
塔の底部分の直径:約10.5cm
塔の高さ:約13.4cm
重要文化財登録指定年月日
2011年(平成23年)9月9日
発願者
称徳天皇
法隆寺・百万塔の名前の意味
百万塔とは、「高さ20cmほど」の木彫りの塔を造立したことから、その名前の通り「100万個の塔」になります。
百万塔の由来・歴史
百万塔は、奈良時代後期、藤原仲麻呂(恵美押勝)の乱で勝利した称徳天皇が、戦死者を弔い、もう2度とこんな反乱が起きないようにとの国家鎮護の思いを込めて作らせたものです。
この塔1つ1つには筒に入った「百万塔 陀羅尼(ひゃくまんとう だらに)」という、お経の一部が納められています。
正式名は「無垢浄光大陀羅尼経」といいます。
上記のお経は巻物で幅:約5cmで、現存する世界で最も古い印刷物となります。
法隆寺・百万塔「無垢浄光大陀羅尼経」
※経典は何千年も前の物となりますので、破れがあり、長さが異なります。
- 作成年月日:8世紀(紀元前800年から700年頃/天平時代)
- 大:5.5cm×39.7cm
- 小:5.0cm×26.1cm
- 紙本(墨刷りの印刷/世界最古の印刷物)
それにしても100万というのは途方もない数です。
当時、仏教がどれほど強く信仰されていたのかがわかりますね。
5~6年ほどかかって完成した百万塔は、東大寺、興福寺、薬師寺など10のお寺に10万個ずつ分けて納められました。
法隆寺はその中の1つ。
そしてなんと、この法隆寺は現在までそれを保存している唯一のお寺であり、約4万6000個が境内の「大宝蔵殿」に保管されています。
ちなみに仏教の寺院において「塔」というのは、釈迦の遺骨(肉舎利)を納めるための建物です。
ただ、本当にお釈迦様の遺骨が世界中のお寺に納められるほどあるわけではないので、代わりにお釈迦様の教えであるお経を納める例もあり、宝石を入れる例もあります。
その際にお釈迦様の代わりになる物を「仏舎利(ぶっしゃり)」「法舎利(ほっしゃり)」と言います。
尚、厳密には仏舎利はさらに以下の3種類に分別されます。
- 白色の仏舎利を「骨舎利」
- 赤色の仏舎利を「肉舎利」
- 黒色の仏舎利を「髪舎利」
えぇっ?!法隆寺の百万塔は民間人が所有している?!
1994年4月よりテレビ東京が放映している「開運!なんでも鑑定団」というテレビ番組で、なんと!この法隆寺の百万塔が出品されるという自体が起こりました。
もし、これが本物であれば、どエライことになります。
ちなみに、この番組の鑑定人は、それなりの権威を持つ考古学の学者や専門知識をもつ方々ばかりです。
そして、この「百万塔」を鑑定して結果・・なんと!
この百万塔が本物であることが判明したそうです。
しかし、ここで疑問が出てくるのは・・以下のようなことです。
なぜ、いち民間人が「法隆寺・百万塔」を所持できたのか?
実は、この鑑定の時に「法隆寺・百万塔」が収められた箱に文章が書かれており、それを読むと以下のようになります。
「明治時代に境内の建造物を維持するために、巨額の資金が必要で支援金を募った。特に大口の支援金をお出しいていただいた方には感謝の意味を込めて、”百万塔”をお授けした」
と、書かれていたようです。
しかし、この百万塔、上記でもご紹介しましたが国宝ではないにせよ「重要文化財」です。
ここで問題になってくるのが、重要文化財指定のものを一個人が所有していて法律違反にならないのか?ということです。
しかし実はなんとぉぅ~!オぅイぇ~、いち民間人である個人が重要文化財や国宝を所持していても問題はないとのことです。
また、一個人が所有している先祖代々の遺品が国宝や重要文化財に指定されることもあるようです。
ただ、文化財指定を受けたからといって国や博物館に即、納めなければならないといったことはなく、文化財保護法の適用を受ける形で文化庁より管理の徹底は指摘されます。
管理の徹底とは、保存環境もそうですが、許可なく勝手に売買したりしてはいけないなどの制限を受けることになります。
しかしまぁ、あれですなぁ。国宝級のお宝を持つ気分というのは、いったいどんな気分でござんしょうかねぇ。
いつもルパン三世一味の標的にされているとなると、いつも懐に入れて持ち歩くなどして、ウカウカと外出はできませぬなぁ。フぅ~ジこちゃ~ん
法隆寺・百万塔の種類と高さの変異
実はこの法隆寺・百万塔には種類があるようで、その種類とは主に「重塔の高さが異なっている」そうです。
以下のような種類になります。フぅ~ジこちゃ~ん
陀羅尼が入っていない百万塔
一般的に多く流通しているとされる普通の百万塔です。
陀羅尼が入っている百万塔
上述した小さな経典が入っている百万塔です。
一万節塔(いちまん せっとう)
これは「七重小塔(一萬節塔)」になります。1万基(個)ごとに、この「七重小塔」が造られたようです。
七重小塔の大きさ
- 高さ47.9㎝
造られた七重小塔の数
- 100個
※ある一定に数ごとに重塔の数が増加し、高さが大きくなっていくようです。
十万節塔(じゅうまん せっとう)
さらに10万基ごとになると「十万節塔」になり、「十三重小塔」になります。
十三重小塔の大きさ
- 高さ70.1㎝
造られた七重小塔の数
- 10個
法隆寺・百万塔が100万個完成するまでの製作期間
法隆寺の百万塔は何せ「100万」という途方もない数なので、現代のように簡単に量産できるワケではありません。
さらに塔を造る技術や道具もなかったので、塔を1重ずつ造り、最後にそれを「ウルシの糊」で、ひっ付けて、やっとこさ1つの塔を完成させています。
おそらく塔を造っている最中に、たくさん失敗したことでしょう。
現に、法隆寺近くの平城京の跡地からは、いくつもの百万塔の失敗作と思われる塔がたくさん出土しているそうです。
しかし気になるのは、これほど手の込んだ塔をどれくらいの期間で製作したのか?
・・なのですが、驚くことになんと!これをたった4年ほどで休まずに完成させたそうです。
期間もそうですが、4年間も継続した意志やその政治的背景がスゴイです。
法隆寺・百万塔がたくさん造られた年代
この法隆寺・百万塔は、主に767年〜769年に多数、造られていると云われており、続日本書紀の記述によれば、770年(宝亀元年/ほうきがんねん)4月まで製作されていたことが明らかにされています。
えぇっ?!明治時代にかなりの数の百万塔が盗まれた??
法隆寺・百万塔が、現在、4万6000弱基ほどしか現存していないとすれば、結構な数の百万塔が民間の個人などの手中にあるか、捨てられているか?ということになります。
しかし実はこの百万塔、以下の10つの寺院にも納められたと云われています。
しかし現在、この百万塔は上記の寺院には現存せず、法隆寺のみに現存しています。
それと、明治時代に神仏分離令の派生から生じた「廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)」と呼ばれる、僧侶や寺院の特権を剥奪する法律が発せられています。
この時に実は民間人に盗まれた物(百万塔)も多く存在するようです。
以上のような事実から、今現在に至っても民間に相当な数の塔が眠っていると云われております。
それで万が一、この百万塔を所持して売った場合の値段はいくらぐらい?
驚くことになんと!奈良市内の骨董品屋や、質屋に行けば、希に百万塔を販売しているそうです。
その相場価格も50万円から100万円くらいだそうです。
他にも、本物かどうかは定かではありませんが、ヤフーオークションなどでは5万円ほどの金額で販売されているのをたまに見かけます。
これら値段の差は、上記でもご紹介しましたが、百万塔の内部に「無垢浄光大陀羅尼経」の小さな経典が入っているかどうかで値段が数十倍ほど違ってくるとのことです。
他にも「重塔の数(=高さ)」などでも、その値段も変わってくるといいます。
以上のことから、この百万塔を売ると、その半分の価格から8割程度の金額になると思われます。
しかしこれほどのお宝を易々と手放すのは、本当に惜しいというよりもトチ狂った考えに他なりません。
よほど生活に困った時の最後の命綱として、はたまた次世代に受け継ぐような家宝として、大事に大事に手元に置いておくのが賢明と言えます。
ただし、大泥棒であるルパン一味には注意が必要です。特にゴエモンの斬鉄剣には要注意です。鞘から抜かせてはならない
しかしこぅなってくると、父っつぁん(銭)を緊急招集しなければならない事態が訪れるかも知れません。フぅ~ジこちゃ~ん
法隆寺・百万塔の場所(地図)
法隆寺・百万塔は、法隆寺の境内にある「大宝蔵院」に展示されています。フぅ~ジこちゃ~ん