聖徳太子の3つの井戸の一角!!法輪寺・「赤染の井【史跡・三井】」
大きさ
- 直径:約1m
- 深さ:約4.2m
「史跡・三井」と「赤染の井」の名前の由来
法輪寺の付近周辺には、「史跡・三井(通称:赤染の井(あかぞめのい)」と言う井戸があります。
「史跡・三井」の「三井」と言うのは「町名」であり、これはかつてこの地に井戸が3つあったことに由来しています。
「赤染の井」の名前の由来に関しては不明です。
三井(赤染の井)の「歴史・由来・井戸の造り」
上述した通り、この史跡・三井(赤染の井)は、かつて3つ存在していたと云われれていますが、現在ではこの「赤染の井」だけを残すだけになっています。
つまり、時代を経る過程で3つの井戸は埋没してしまい、明治時代にようやくその内の1つである現在の赤染の井だけが掘り起こされています。
その後の1932年(昭和7年)には本格的な発掘調査が行われ、その際、井戸や周囲の環境が整備され、再び造営当初の姿が復元されています。
尚、この調査では井戸の大きさが判明したばかりではなく、井戸の奥の形状までも判明しています。
三井(赤染の井)の「井戸の中の形状と特徴」
井戸の内部の全体的な形状として中央部分が膨れた形状をしており、側面から見たときに緩やかなアーチ型の形状になっていることが確認されています。
また、井戸の底には4つの石が置かれており、この隙間から井戸水が湧き出る仕組みになっていることも判明しています。
さらに井戸の底から約1.15mの位置まで石が積まれて造営されており、そこから井戸の入口までの約3mは扇の形をした「磚(せん)」と呼称される「レンガ(焼きを入れて固めた粘土)」が積まれています。
そして、このように大変めずらしい造りの井戸であることから、国指定の「史跡」に登録されており、「現存する日本最古の井戸」とも云われております。
聖徳太子が井戸を3つ掘った理由
聖徳太子が三井の地に井戸を3つ掘った理由は、自らの子ども「山背大兄王」らが生まれた時の産湯にする目的で掘ったと云われております。
しかし一説では、もともとこれら3つの井戸は飛鳥にあった井戸とされており、後に3つ共、現在の当地に移設されてきたとも云われております。
その他、聖徳太子が掘ったとされる井戸は聖徳太子ゆかりの寺「大阪・四天王寺」にも存在し、奈良にも聖徳太子に由来した井戸の存在が複数、確認されています。
このことから聖徳太子が「井戸掘り名人」であったとも言えるほどの数の井戸が、当時では掘られていたのではないか?・・などとも考えらています。
赤染の井(史跡・三井)への「問い合わせ先・場所(住所)・アクセス(行き方)」など
- 住所:生駒郡斑鳩町三井1547-2
- TEL:0745-74-6800(斑鳩町観光協会)
- 見学料金:無料
- 見学可能時間:見学自由
- 駐車場:なし
法隆寺から赤染の井(史跡・三井)へのアクセス(行き方)
法輪寺から赤染の井(史跡・三井)へのアクセス(行き方)
一般の方が通行できる法輪寺の境内へ出入り口は受付のある出入り口1つです。
その出入り口を出て右方向へ(北)へ境内に沿うような形で道なりに歩きます。
道は民家と田んぼを抜けて歩くような形になり、看板がないので分かりにくいですが、法輪寺からは近距離なので何とか辿り着けると思います。ファイト
- 徒歩:約1分
- 距離:約110m
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