奈良・法隆寺「経蔵」【国宝】

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奈良・法隆寺「経蔵」【国宝】

創建

710年(和銅3年)から793年(延暦12年)

建築様式(造り)

楼造
切妻造

大きさ

桁行三間(約:7メートル)
梁間二間(約:5メートル)

屋根の造り

本瓦葺

重要文化財登録指定年月日

1899年(明治32年)4月5日

国宝指定年月日

1951年(昭和26年)6月9日

法隆寺・経蔵の読み方

法隆寺の境内には難しい漢字の表記で読みにくい名前の仏像や堂舎がありますが、経蔵は「きょうぞう」と読みます。


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法隆寺・経蔵の役割り

法隆寺の経蔵は「一切経(いっさいきょう)」と言う大乗仏教の大蔵経を収めた堂舎になります。

一般的に知られる経蔵は堂内に輪蔵(りんぞう)と呼ばれる経典を収める棚がありますが、法隆寺の輪蔵には経典を収める棚がありません。

しかし現在の経蔵の内部には平安時代造立の百済の学僧・観勒(かんろく)僧正像が安置されています。

観勒は、天文や地理学を日本に伝えた百済(朝鮮)の学僧になります。

この他、法隆寺の寺伝によると堂内には「三伏蔵」という宝物が収められているそうです。

この三伏蔵という宝物は他に金堂の内部と大湯屋前にも存在するようで、すべて揃うことで、法隆寺を再興できるほどの価値があると伝えられているようです。

法隆寺・経蔵の建築様式(造り)

経蔵は楼造りの堂舎であり、楼造りの堂舎としては日本最古と云われております。

1階部分は回廊に接続されていることから、1階部分に高さがあり1階と2階の高さの比率が変わっていますがバランスの良さを感じます。

相対する形で造営されている鐘楼はこの経蔵の建築を模して平安時代中期に再建されています。

堂舎の周りは簡素な出三斗で組まれた組手が取り巻き、法隆寺の境内の東大門や伝法堂で見ることできるような二重虹梁を軒下の妻側で見ることができます。

堂舎の外観を見ている限り、奈良時代の実用的な堂舎という印象を受けます。

法隆寺・経蔵の歴史

この経蔵は確かな創建年は不明と伝わっていますが、奈良時代に創建された歴史的由緒ある建造物です。

しかし近年の調査の結果、670年(天智天皇9年)に法隆寺の西院伽藍はすべて焼失したことが明らかにされており、創建当初の西院伽藍は現在の若草伽藍の場所が該当すると考えられています。

経蔵に関しては創建当初から存在したのかは不明ですが、存在していたとするのであれば670年に焼失していることになります。

以降、軽微な修繕が執り行われ現在に至っています。

 

法隆寺・経蔵の場所

法隆寺・経蔵は南大門から入った中門奥の金堂の後方に位置します。

この経蔵も向かい側の鐘楼と同じく一般の立ち入りができない禁足地域になっています。

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