法隆寺(金堂)・毘沙門天立像(吉祥天像)【国宝】
造立年
1078年(承暦2年/平安時代後期)
像高
123.2cm(毘沙門天立像)
116.7cm(吉祥天像)
作者
不明
造立方法
一木造り・切金造り・彩色
材質
ヒノキ材
国宝指定年月日
1951年(昭和26年)6月9日
安置場所
法隆寺・金堂
毘沙門天立像(吉祥天像)の読み方
「毘沙門天立像」の読み方は「びしゃもんてん」「吉祥天像」の読み方は「きっしょうてんぞう」と読みます。
えぇっ?!法隆寺に夫婦の仏様がいた?!
金堂「中の間」の釈迦三尊像の左右には、「吉祥天(きっしょうてん)」と「毘沙門天(びしゃもんてん)」が並んでいます。
実は、この二仏は「夫婦」なんです。驚きました?..ウフ♥
法隆寺のこのカップルは、平安時代の作品とされ、現存する日本最古の吉祥天・毘沙門天像と云われております。
吉祥天像・毘沙門天像が作られた理由
法隆寺の「吉祥天・毘沙門天像」が造立された由来とは、「吉祥悔過会(きちじょうけかえ)」という、「五穀豊穣を願う法会」においての本尊とするために、1078年(平安時代)に造立されました。
「吉祥悔過会」とは、五穀豊穣や天下安寧を祈願する法要です。「悔過会(けかえ)」とは前年の自らの過ちを悔い改めることです。
一木造りで彫られていますが、真っ二つにされて、中がくり貫かれていますので、重量は軽いです。
はぇっ?!「毘沙門天」と「多聞天」て同じ仏様だったの???
一般的にあまり知られていませんが実は「毘沙門天」と四天王の中の一天である「多聞天」は、同じ仏様だと云われています。
つまり、この多聞天は、四天王の一員の扱いでない時は「毘沙門天」と呼ばれます。
吉祥天像・毘沙門天像の特徴
プっくりしていて静寂を宿した人間的な顔面に、躍動的なポージングがなく控えめな像容です。
このような肉付きよい顔面や躍動感が少ない像の特徴は、およそ平安後期から鎌倉時代に造立された仏像に多く見られる特徴でもあります。
また、瓔珞(ようらく/飾り)の装飾の繊細さや、宝珠、宝冠、光背に見られる透かし彫りなども平安後期以降に造立された仏像の特徴が現れています。
像の身体には、わずかに彩色が残っていますが、この彩色には金箔を細かく切って押していく「切金(きりかね)」と呼ばれる技法が部分的に用いられています。
このように平安期に造立された彩色を持つ仏像として、国内で現存する仏像はわずかであり、計り知れない価値があるのは明白です。
つまり、大泥棒であるルパン一味にいつ狙われてもオカシクはないということです。フぅ~ジぃ子ちゃ~ン
「法隆寺・毘沙門天立像(吉祥天像」の安置場所
- 法隆寺・金堂
法隆寺・金堂についての詳細は以下の別ページにてご紹介しております。
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