奈良・法隆寺の再建の年代がすべて嘘だった?!法隆寺再建論争とは?

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奈良・法隆寺の再建の年代がすべて嘘だった?!法隆寺再建論争とは?

学生のあなたは必見っ!!法隆寺の俳句を作る際の「こんなコツと裏ワザ」奈良・法隆寺の西院伽藍は「世界最古の木造建築群」と言われますが・・実はハッキリした創建年は、未だにわかっていません。

それでも長い年月をかけて少しずつ解明されてきた法隆寺創建の謎を、ここでちょっとだけお勉強しましょう!

奈良・法隆寺の史料に見る創建の歴史

現在確認できる史料にある、法隆寺創建の流れを見ていきましょう。

歴史
605年 厩戸皇子(聖徳太子)が、飛鳥から「斑鳩宮」(現在の東院の場所)に移住
607年 用明天皇(聖徳太子の父)の遺志を継ぎ、推古天皇と聖徳太子が「薬師如来坐像(現在金堂東の間の本尊)」と寺を完成させる。(創建)
623年 聖徳太子の冥福を祈り「釈迦三尊像(現在金堂中の間の本尊)」を造立
643年 「蘇我入鹿」に攻められ「山背大兄王」他、聖徳太子の一族が自害、斑鳩宮が焼失
670年 火事により法隆寺全焼
693年 法隆寺にて「仁王会」が始まる

※注釈=仁王会(にんのうえ)とは、天下安寧、国家鎮守を願う法要。

ここで、「607年が創建と記載があるので、創建は607年でイイのでは?」などと思ってしまうかもしれません。

しかし、これがまた、そんなに簡単な話ではないのじゃよ。..ホっホっホっ

まず、607年と623年の記述は、それぞれの仏像の「光背銘」のものです。

※注釈:光背銘(こうはいめい)=仏像の背中の「輪っか」に刻まれた「作者の名前」や「造立の年代」などの根拠を示すものの総称。

光背銘がどうも怪しいということと、何より頼りにするべき「日本の正史・『日本書紀』」には、「火事の記述はあって」も、「創建の記述がない」ことが、詳しい年代の特定を妨げているんです。

奈良・法隆寺は創建以来からの姿をそのまま留めている説

法隆寺は推古天皇と聖徳太子が創建して以来、一度も焼けずにそのまま残っているという説があります。

明治時代半ばまでは、これが定説でした。

しかし、『日本書紀』の火事の記述から、670年に全焼して、仁王会の記録のある693年までには、ほぼ再建されたとする説(再建論)が発表されるようになりました。

しかし一方で、法隆寺が古来からの姿を、そのままに留めていると信じ切るグループはこう言います。

日本書紀に書かれた記事は、60年前(610年/推古天皇18年)に起こった、小さな火事の事を誤って大きく表現して書いただけ

・・などとして、その意見を否定的に捉えました。


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「法隆寺・西院伽藍」のみが創建当時のままの姿を留めていた説

昭和の時代に差し掛かると「2寺説(新非再建論)」が登場します。

「2寺説(新非再建論)」とは?

「用明天皇のための寺(西院伽藍)」と、「聖徳太子のための寺(若草伽藍/現在の西院伽藍の南東側の空き地)」は、別のものとして同じ時代に同時に存在していた。

670年に焼けたのは「若草伽藍のみ/聖徳太子の寺の方」である。

などというのが、「2寺説(新非再建論)」となります。

若草伽藍の伽藍の配置と向きから見る「1000年後の真実」

法隆寺・若草伽藍(わかくさがらん)【国宝】1939年に行われた若草伽藍跡の発掘調査の結果、以下↓のようなことが判明します。

  • 「若草伽藍は現在の西院伽藍とは、全く異なる伽藍の配置や向きであった」
  • 「若草伽藍には、かなり古い様式の瓦が使われていた」

そして、この調査を経て、さらに以下↓のようなことが浮き彫りとなりました。

  • 「焼けたのは若草伽藍のみ」
  • 「しかし、若草伽藍と西院伽藍が様々な年代などを加味して並立するのは不自然」
  • 「よって、若草伽藍=初代法隆寺」

などの事が分かりました。

現在も決着が付いていない「法隆寺の謎」

上述の通り、法隆寺に残された「過去からの謎という遺産」は、ほぼ決着がつき、真実が浮き彫りになってきたかのような、ニュアンスを受け取ることができます。

しかし実は、未だに解決されていない、以下↓のような迷宮入りの謎が法隆寺には残されているのです。

  • 「火事があったのは本当に670年なのか?」
  • 「聖徳太子の家系が途絶えた後の法隆寺は、いったい誰が再建したのか?」
  • 「西院伽藍を若草伽藍のあった場所から大きくズラしたのはなぜか?」
  • 「金堂の薬師如来坐像や釈迦三尊像は、本来、ドコに安置されていたものなのか?」

・・など、創建、再建にまつわる話だけでも、まだ、これだけの謎が多数、残っています。

終わりに・・

いかがでしたか?

少し、難しい表記であった文献などを参考にして、かなり噛み砕いて文章にしています。

よって、説明不足な点があるかもしれません。

しかし、筆者的には非常に興味深い謎として捉えています。

奈良の外れの古都を思い、胸にシンミリと染み渡る法隆寺の謎。

そんな太古のロマンに身を包まれ、哀愁にも似た思いで胸が満たされる・・。

今なお、数々の謎が残る法隆寺。

今後も、新たな研究成果が出るかもしれません。

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