奈良・法隆寺の謎!「偶数と奇数の理由と配置」

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奈良・法隆寺の謎!「偶数と奇数の理由と配置」

法隆寺・因可池(よるかのいけ)

まず、奇数、偶数が持つ意味とは?

本題に入る前に、「奇数」「偶数」が持つ文化的、伝統的な意味合いについて確認です。

古代中国では、「奇数=陽(縁起が良い)」、「偶数=陰(不吉)」という考え方があり、それは暦と共に、日本に伝わりました。

例えば以下↓のような「五節句(五節供)」がその代表例です。

  • 人日(じんじつ。七草。1月7日)
  • 上巳(じょうし。桃。3月3日)
  • 端午(たんご。菖蒲。5月5日)
  • 七夕(しちせき。笹。7月7日)
  • 重陽(ちょうよう。菊。9月9日)

以上、全て奇数の日となります。

※暦は変わってしまったので、全てが昔のままというわけではありません。

このように、日本でも昔から「奇数」を縁起が良い数としてきました。

その例は他にもたくさんあります。


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聖徳太子の怨霊鎮守の布石・「法隆寺・中門」

聖徳太子の怨霊鎮守の布石・「法隆寺・中門」ここからは法隆寺の話となります。

奇数はおめでたいイメージですが、一方の偶数は「不吉」な、極言すると「死」すら連想させる数でした。

寺院などの設計も、基本的には「奇数」を軸に行われていました。

しかし法隆寺には、わざわざ偶数にしたとしか、考えられない部分があるというのです。

法隆寺の中門は、実は寺院の門の中では例外的な造りになっています。

柱の数と位置に注目してください。

真ん中に柱が建っているんです。

手前の南大門と比べると、違いがよくわかりますね。

寺社の建物の造りは、通常柱の数ではなく「柱間(柱と柱の間)」を見ます。

これが奇数だと南大門のような形(真ん中が通り道)になりますが、中門は偶数。

つまり、「4間」です。
その意味とは、なんと!「死の寺」だというのです!

その理由は、

法隆寺は聖徳太子の怨霊を供養するための寺であり、門の中央に柱を作ることで、怨霊を閉じ込めている

などとする説があるといいます。

ちなみに、中国のお墓には、真ん中に柱を持つ門がよくあるそう。

法隆寺の「偶数」は他にもある?

中門だけならまだしも、法隆寺には他にも、敢えて偶数を用いたのではと思ってしまう建物があります。

大講堂は「6間」。
金堂の2階は「4間」です。

特に金堂の2階は、床があるわけではなく、形だけのものなのに、わざわざ1階部分とチグハグになるスタイルにしてまで「偶数」にしたかったのには理由が?・・迷宮入りとなる法隆寺の謎の1つといえます。

寺院が「偶数」だらけの意味

普通はあり得ない偶数を敢えて用いたと思われるのは、実は上述の「間」だけの話ではないのです。

他にも多数ありますが、ここでは敢えて割愛させていただきます。

※参考文献=梅原猛著「隠された十字架」(新潮社)

【補足】奈良・法隆寺が別称「死の寺」とも呼ばれる理由

奈良・法隆寺にも血に染まった都市伝説があった?!最後に、どうして、法隆寺が偶数を多用した「死の寺」なのか、について少しだけ補足します。

それは、聖徳太子亡き後、まさにこの地で、聖徳太子の一族が攻められて自害し、家系が断絶するという悲劇が起こったからです。

ちなみに、聖徳太子の一族が自害した土地というのが、今の東院の辺りと云われ、悲劇の舞台となった「斑鳩宮」があったとされています。

法隆寺は元々、聖徳太子の父君である用明天皇のための寺だったと言われています。

しかし、火事で全焼した後再建された法隆寺に、後世の人が「怨霊を封じ込める」意味合いを持たせたというのです。

自分が死んだ後のことを聖徳太子ともあろう人が呪うだろうか?

・・などと思わなくもありませんが、悪いことがあれば怨霊のせい、というのはこの時代の人の感覚としては普通なのかもしれませんね。

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