法隆寺がペルシャのゾロアスター教の神殿だった???!!!

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法隆寺がペルシャのゾロアスター教の神殿だった???!!!

ところで・・「ゾロアスター教」とは?

ところで・・「ゾロアスター教」とは?紀元前6世紀頃、ペルシアの預言者ゾロアスター(ザラスシュトラ)がイランで始めた宗教で、古代ペルシア(ササン朝)の国教でした。

太陽や火を崇拝することから、「拝火教(はいかきょう)」とも呼ばれます。

イスラム教が栄えると急激に衰退しますが、今でもインドやイランに合わせて15万人ほどの信者がいます。

法隆寺の背景にうつろげに垣間見える「古代ペルシアの影」

実は、法隆寺には、古代ペルシア、ゾロアスター教の影響を感じさせる点がいくつもあり、主に以下↓のような点がペルシア文化との交わりが深いと囁かれています。

法隆寺と古代ペルシア・ゾロアスター教との接点【その1】「”斑鳩”という地名」

法隆寺と古代ペルシア・ゾロアスター教との接点【その1】「”斑鳩”という地名」「斑鳩(いかるが)」とは、その名の通り「まだらの鳥」という風にも読むことができます。
斑鳩はペルシアでは、ペルシアの女神の遣いとされる、伝説の鳥だそうです。

法隆寺と古代ペルシア・ゾロアスター教との接点【その2】「救世観音」

法隆寺(夢殿)・救世観音菩薩立像【国宝】明治時代まで絶対秘仏とされていた、夢殿の「本尊・救世観音像(ぐぜかんぜおんぼさつ像)」。

この菩薩像は、聖徳太子の存命中に、太子を模して造られたと云われています。
その光背や、像が持つ宝珠が火炎状なんです。

炎と言えば、「ゾロアスター教」。

つまり法隆寺境内の「夢殿」は、ゾロアスター教の神としての聖徳太子を祀る、神殿ということに?・・などいう説があります。

これらは、そもそも聖徳太子本人が、純粋な日本人の血族ではなかったという説に由来したものとなります。

つまり、日本人の血を引いていたとしても、外国人と日本人との混血児であった可能性も高いとも云われているからです。

聖徳太子が日本人では無かったとされる理由

その1番の理由の1つとして、聖徳太子の背丈が180cmあったと記録されており、これは上述の「救世観音像」がその証拠にあたります。

すでに救世観音像が聖徳太子を模して造立されたことは実証されており、これらは当時の日本人の平均身長であった「150cmから160cm」から考えると、とても当時の純血の日本人であることが考えにくとされているからです。

以上のことから、聖徳太子が純血の日本人ではなかったか(混血児)、もしくは、外国から日本へ訪れた人物(渡来人)であるという説があります。


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法隆寺と古代ペルシア・ゾロアスター教との接点【その3】「若草伽藍の向き」

法隆寺・若草伽藍(わかくさがらん)【国宝】創建当初の法隆寺は火事で全焼していますが、その遺構が確認されています。

それが、法隆寺南大門付近の「若草伽藍」です。

「若草伽藍」は、現在の西院伽藍と、少し離れた場所に位置しておりますが、あまり気づくことがない隠された事実があります。

隠された事実とは、どのようなことかといいますと若草伽藍の「向き」になります。

上記の画像(写真)を確認していただければ、お分かりになりますが、「若草伽藍」が傾いているのが視認できます。

この傾きを角度で表現すると、なんと!北と南の直線から約20度傾いて建立されていることが確認されています。

そして、実はこの20度という角度・・、なんと!!これは「シリウス星」を基準に決められた向きと一致していると云われています。

ちなみに、この「シリウス星」は「ミトラ教」という宗教が信仰の対象にした星と云われております。

ミトラ教とは?

ミトラ教とは、ゾロアスター教が広まる前、古代ペルシアで信仰された宗教と云われております。

ゾロアスター教寺院にも、同じ向きの例があるそうです。

法隆寺と古代ペルシア・ゾロアスター教との接点【その4】「四騎獅子狩紋錦」

法隆寺と古代ペルシア・ゾロアスター教との接点【その4】「四騎獅子狩紋錦」上記↑の画像(写真)を見て、もう既に何かを察知された方も多いと思います。

上記の画像は、法隆寺に伝承されている「旗」です。

この旗の名前を「四騎獅子狩紋錦(しきししかりもんきん)」と言い、聖徳太子が14歳の時に、物部氏と戦った際に使用した「旗」と伝わっているものです。

明治時代に、法隆寺から当時の皇室に献納された宝物の1つで、現在は東京国立博物館に所蔵されております。

この「四騎獅子狩紋錦」は、絶対秘仏であった「救世観音」の封印が解かれた時に、「救世観音像」の付近から発見されたそうです。

そして、この旗を見てお分かりですが、聖徳太子が生きていた時代の日本文化の様相とは明らかに、異なった作風のものです。

つまり、西洋(ペルシア)風のと作風に極めて類似していると云われております。つまり、西洋(ペルシア)風のと作風に極めて類似していると云われております。

ペルシア風の作風の根拠としては、旗に見られる12枚の花弁の菊は、「ペルセポリス(ペルシア帝国の古都)」にたくさんあるレリーフ(浮かせ彫り)と同じだということです。

「ペルセポリス(ペルシア帝国の古都)」にたくさんあるレリーフ 「ペルセポリス(ペルシア帝国の古都)」にたくさんあるレリーフ引用先:http://www.karakusamon.com/

法隆寺と古代ペルシア・ゾロアスター教との接点【その5】「香木」

法隆寺と古代ペルシア・ゾロアスター教との接点【その5】「香木」香木(こうぼく)」も「四騎獅子狩紋錦」献納品となります。

香木とは、焚き物に使う香りの良い木のことです。

この木には、昔ペルシアで使われていた文字が刻印されていると云われれております。

寺院で火を絶やさないように、焚き物をするのは、ゾロアスター教の習慣だと云われております。

法隆寺、あるいは夢殿、聖徳太子がゾロアスター教と結び付いていることを示すものは、実はこのページでご紹介した物以外にも他にもまだあります。

しかし、なぜか、これ以上の法隆寺の謎の追求は「興味心」とは裏腹に「恐怖心が込み上げてくる」のは、筆者である私だけなのでしょうか?

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