まず‥‥奇数、偶数が持つ意味とは?
本題に入る前に「奇数」「偶数」が持つ文化的、伝統的な意味合いについて確認です。
古代中国では、「奇数=陽(縁起が良い)」、「偶数=陰(不吉)」という考え方があり、それは暦と共に日本に伝わりました。
例えば以下↓のような「五節句(五節供)」がその代表例です。
以上、全て奇数の日となります。
※暦は変わってしまったので、全てが昔のままというわけではありません。
このように、日本でも昔から「奇数」を縁起が良い数としてきました。
その例は他にもたくさんあります。
聖徳太子の怨霊鎮守の布石「法隆寺 中門」
奇数はおめでたいイメージですが、一方の偶数は不吉な極言をすると「死」すら連想させる数でした。
寺院などの設計も、基本的には「奇数」を軸に行われていました。
しかし法隆寺には、わざわざ偶数にしたとしか考えられない部分があるというのです。
法隆寺の中門は実は寺院の門の中では例外的な造りになっています。
柱の数と位置に注目してください。法隆寺の中門は真ん中に柱が建っています。
手前の南大門と比べると違いがよくわかります。
寺社の建物の造りは、通常、柱の数ではなく「柱間(柱と柱の間)」を見ます。
これが奇数だと南大門のような形(真ん中が通り道)になりますが中門は偶数。
つまり、「4間」です。
その意味とはなんと!「死の寺」だというのです!
その理由は・・
「法隆寺は聖徳太子の怨霊を供養するための寺であり、門の中央に柱を作ることで、怨霊を閉じ込めている」
などとする説があるといいます。
ちなみに中国のお墓には真ん中に柱を持つ門がよくあるそうです。
法隆寺の「偶数」は他にもある?
中門だけならまだしも、法隆寺には他にも敢えて偶数を用いたのでは?・・と思ってしまう建物があります。
例えば、大講堂は「6間」。金堂の2階は「4間」です。
特に金堂の2階は床があるわけではなく、形だけのものなのに、わざわざ1階部分と面積を変えています。
面積を変えてまで「偶数」にしたかった理由が何かあるのでしょうか?
これも迷宮入りとなる法隆寺の謎の1つといえます。
寺院が「偶数」だらけの意味
普通は考えられない偶数を敢えて用いたと思われるのは、実は上述の「間」だけの話ではないのです。
他にも多数ありますが、ここでは敢えて割愛させていただきます。
※参考文献=梅原猛著「隠された十字架」(新潮社)
【補足】法隆寺が別称「死の寺」とも呼ばれる理由
最後に、なぜ法隆寺が偶数を多用した「死の寺」なのか・・について少しだけ補足します。
法隆寺は元々、聖徳太子が聖徳太子の父君である用明天皇のために創建した寺であったと言われています。
その後、聖徳太子も亡くなり、さらにその後、当地で聖徳太子の一族が攻められて自害し、家系が断絶するという悲劇が起こっています。
この時、聖徳太子の一族が自害した土地というのが現在の東院伽藍だと云われ、悲劇の舞台となった「斑鳩宮」があったとされています。
これが死の寺だと云われる真相です。
火事で全焼した後、再建された法隆寺に後世の人が「怨霊を封じ込める」意味合いを持たせています。
自らが死んだ後々のことを聖徳太子ともあろう人が呪うのでしょうか?
・・などと思わなくもありませんが、悪いことがあれば「怨霊のせい」というのはこの時代の人の感覚としては普通なのかもしれませんね。
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