法隆寺東院「伝法堂」【国宝】

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奈良・法隆寺東院「伝法堂」【国宝】

奈良・法隆寺東院「伝法堂」

創建年

  • 739年(天平11年)
建築様式(屋根の建築造り)

  • 切妻造
  • 一重
  • 本瓦葺
大きさ

  • 桁行(奥行き)7間(約13.5m)
  • 梁間(横幅)4間(約11m)
大きさ(創建当初)

  • 桁行(奥行き):5間(約12m)
  • 梁間(横幅):4間(約11m)
国宝指定年月日

  • 1951年(昭和26年)6月9日

法隆寺・伝法堂の読み方

法隆寺の境内には難しい漢字の表記で読みにくい名前の仏像や堂舎が存在しますが、伝法堂は「でんぽうどう」と読みます。

奈良・法隆寺東院「伝法堂」の歴史・由来

法隆寺に伝承される「東院資材帳」の記載によれば、この「伝法堂」は、東院伽藍の講堂に相当する堂舎と記されています。

739年(天平11年)に聖武天皇の夫人である「橘古那可智(たちばなのこなかち)」の住居を移転して仏堂にしたものと伝えられています。

橘古那可智は仏教に対して並々ならなぬ感心を抱いていたと云われ、そのために自らの邸宅を法隆寺へ寄進したものと考えられています。

橘古那可智の邸宅が移築

された年

橘古那可智の邸宅が移築された年については判然としておらず、次のような推定説が唱えられています。

  • 742年(天平14年)に奉納
  • 746年(天平18年)に奉納
  • 759年(天平宝字3年):橘古那可智が亡くなった後、遺言により奉納

また「武家屋敷」というのは日本各地に残っていますが、平安時代以前の貴族の住居というのは、ほとんど現存しないことから大変貴重な遺構でもあります。

以上のような経緯から、この法隆寺・伝法堂は1951年(昭和26年)6月9日に国宝指定を受けている堂舎となります。

伝法堂の歴史(年表)

歴史
739年〜759年(推定) 伝法堂が創建される。
1156年 梵天像と帝釈天像が造立され、伝法堂へ安置される。
2006年 伝法堂の屋根修理が完成す。

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伝法堂の内部

3つの天蓋と3つの間

この伝法堂は金堂と類似した様相をしており、3つの天蓋の下に3つの間が作られ、それぞれ中央の間、東の間、西の間と名付けられています。

そしてこれら3つの間にはそれぞれ「奈良時代造立の乾漆・阿弥陀三尊像」が安置されており、さらに以下のような仏像が取り囲むようにして安置されています。

※内部は写真撮影が禁止されております。写真はお借りしたものです。

伝法堂の内部に安置される仏像・一覧

伝法堂の内部には仏像が安置されていますので、内部の様子と併せてご紹介しておきます。

伝法堂の内部へ入ると一面板張りの床が広がり、中央には来迎壁が設けられています。

正面扉を入って奥には背の低い東西に長い須弥壇が置かれ、その須弥壇の上には箱型天蓋が天井から吊るされる形で3つ取り付けられています。

その箱型天蓋と須弥壇の間の空間に以下のような仏像が安置されています。

  • 釈迦如来坐像(造立年:平安時代)
  • 薬師如来坐像(造立年:平安時代)
  • 阿弥陀如来坐像(造立年:平安時代)
  • 弥勒仏坐像(造立年:平安時代)
  • 梵天立像(造立年:平安時代)
  • 四天王立像(造立年:平安時代)
  • 帝釈天立像(造立年:平安時代)
  • 四天王立像(造立年:平安時代)
  • 地蔵菩薩立像(造立年:室町時代)

この中でも特に地蔵菩薩立像は「子安地蔵」とも呼ばれ、篤い崇敬が寄せられており、例年7月24日の夕刻には地蔵会が営まれ、堂内は参拝者で賑やかになります。

以上、これらの仏像は時代を経る過程において、自分たちが祀られていた仏堂が不明になり、寄せ集められる形でこの伝法堂に安置されています。

行信部屋

正面扉から入堂して右端には扉付きの板壁が張られていますが、実はこの板壁は中央にあえて空間ができるように囲うようにして配置されていることから、ここに一応の部屋ができます。

この部屋は古来、行信部屋(ぎょうしんべや)と呼ばれ、1417年(応永24年)に造営されたことが明らかにされており、かつては聖霊会(しょうりょうえ)の神輿が安置されていたとのことです。

左右の箱型天蓋はかつては厨子型天蓋だった?!

3つの天蓋のうち、左右の天蓋はかつては厨子型の天蓋だった可能性が示唆されています。この理由としては左右の天蓋に八角系の柱で長年に渡って支えられていた痕跡が見つかっており、かつては厨子内部の仏像が観れない仕様になっていたことも明らかにされています。

建築様式(造り)

二重虹梁蟇股(にじゅうこうりょうかえるまた)

妻側の軒下の壁面は二重虹梁(にじゅうこうりょう)で組まれており、これは天平時代に流行した組み方です。

白壁に装飾のない柱と言ったシンプルで整った外観が映えます。

この当時の寺院は土間建築がほとんどですが、内側は創建当初から床が張られているのが特徴的であり、はたまた「橘古那可智」の住居であった証拠を示す遺構の1つとなります。

平側の壁面に中備(なかぞなえ)はなく、斗栱(ときょう)は「大斗肘木(だいとひじき)」が四辺に組まれており、その間に梁(りょう)と長押(なげし)を通してこれを連絡しています。

このような梁や長押しと言った水平材(横向きの木材)に比べて、縦に立つ柱が極端に太いのも天平時代の建築物の特徴です。

瓦屋根の裏側は禅宗様を示す、繁垂木(しげたるき)で組まれているのが伺えます。

伝法堂の地下から発見された「とあるもの」

1939年(昭和14年)には、この伝法堂で発掘調査が行われています。

この調査では、なぁんとぉぅ!かつて東院伽藍に存在したとされる斑鳩宮に使用されていた礎石が発見されています。

この調査の結果から法隆寺と聖徳太子の関係や、斑鳩宮が存在した事実までもが明らかにされています。

法隆寺・伝法堂の仏像一般公開について

上述したように伝法堂では毎年7月24日の夕刻に「東院地蔵会」が営まれますが、この時にこれらの群像のご尊容を拝することができます。

つまり、伝法堂の内部特別一般公開ということになります。

この他、不定期ですが、ご開帳もあります。

例えば、2010年(平成22年)の「平城遷都1300年祭」の時は、10日間の御開帳(特別一般公開)が開催されています。また機会は訪れるのでしょうか・・。

詳細は法隆寺の公式HPをチェックしておいてください。ひょっとすれば、ひょっとするかもです。ウフ

法隆寺・伝法堂の場所(地図)

東院伽藍の北側にある建物になります。伝法堂の前には中宮寺境内への出入口となる門があり、その奥には中宮寺の拝観受付窓口が見えます。

夢殿からも近く参拝ルートしては西院伽藍→東院伽藍(夢殿)→中宮寺と来れば、必然的にこの伝法堂の前と通ることになります。

平べったい平屋ですが、内部を観れば一流の仏堂のような圧倒的な威容感が漂います。

法隆寺境内に案内図は以下の別ページでご紹介しております。

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