法隆寺 東大門【国宝】
| 創建年 | 607年(推古天皇15年) |
|---|---|
| 再建年 (現在の門) |
1697年(元禄十年/江戸前期) |
| 建築様式 | 切妻造、八脚門、 一戸(出入口が一ヶ所)、 三棟造 |
| 大きさ | 巾三間 |
| 屋根の造り | 本瓦葺 |
| 国宝指定年月日 | 1952年(昭和27年)11月22日 |
「東大門」の読み方
東大門は「とうだいもん」と読みます。
東大門には別名がある!
また、西院伽藍から東院伽藍へ向かって歩いていくとこの門を潜ることになり、西院と東院の中間に位置することから「中ノ門」とも呼称します。
法隆寺 東大門の歴史・由来
えぇっ?!実は、法隆寺は奈良時代に完膚なきまでに全焼していた??
実は法隆寺は670年(天智天皇9年)に起こったとされる大火事で焼失しています。
その後、間もなく再建されたのが、現在見ることのできる西院と東院の伽藍に跨る、数々の建造物だと云われております。
えぇっ?!東大門は元々はまったく違った場所にあった??
東大門は、昭和の解体修理の際に見つかった墨書きから、かつては鏡池の東側に南向きで造営されていたことが明らかにされています。(現在の食堂の前方、南向き)
それが平安時代になって現在地に移築されてきたと云われる。
現代の見識で考えみると「えぇっ?!建物を動かす??」などと思ってしまいますが、日本の昔ながらの建築物は木造なので重量はそれほどなく、場所を移すのが比較的、容易なのです。
寺社やお城ではよく移設が行われています。
法隆寺 東大門の建築様式(造り)
法隆寺で見られる「三棟造り」の建築技法
法隆寺 東大門は「三棟造り(みつむねづくり)」という奈良時代の建築技法で建立されております。
少し聴き慣れませんが「三棟造り」とは門の前後に屋根があり、その上にさらに大屋根を被せる形の建築構造になります。
画像引用先・東京教育委員会
すなわち屋根の頭頂部分となる横材の「棟(むね)」が3つあり、屋根が3つあることから「三棟造り」と呼ばれています。
現代において、奈良・推古時代の当時のこの技法で組まれた建造物をみることは皆無に等しく、南都と云われた奈良や宮島の厳島神社などの建造物でみかけることができます。
厳島神社の本殿については以下の別ページにてご紹介しております。
江戸時代に復っ活ぁ〜つ!
しかしなんと!江戸時代になって三棟造りの技法が再熱し、日光東照宮や浅草寺(二天門)などの一部の建造物でも、三棟造りで造営されている建造物を見かけることができるようになりました。

そして「三棟造り」の屋根を支えるのが「12本の柱」です。
12本の内の8本の柱は「控え柱」といって、この由来から「八脚門」のネーミングがきています。
「控え柱」は真ん中の「4本の本柱」を助けるために組まれた柱です。
猪の目の懸魚
ちょっとこの東大門に訪れたら、サイドへ回って屋根を見てみてください。
猪の目の懸魚が見え、さらにその奥には後述する二重虹梁の組手が見えます。
猪の目とはハート形を意味し、ハート♥形をした懸魚(けぎょ)は奈良時代の建造物に見られる特徴です。チュっ♥
二重虹梁蟇股
今度は猪の目懸魚の奥を見てください。軒下の壁沿いに組物が見ませんか?
天平期の資料などを参照すると必ずといって良いほど出てくる有名な言葉がありますが、その言葉の1つに「二重虹梁蟇股(にじゅうこうりょうかえるまた)」があります。
法隆寺に用いられている蟇股は、近代の社寺建築に当たり前のように見られるような「装飾のある蟇股」ではなく、板蟇股と呼ばれるものなので、一見すると蟇股とは分かりにくいのが特徴です。
飛び出た木は母屋桁(もやげた)と呼ばれる構造材であり、垂木を受けています。
そして屋根の一番上の部材となる南北に通る棟木を中央として、母屋桁は左右に1本ずつ垂木を受ける形で南北に通されています。
この形式こそが上述、三棟造りの典型例であり、およそ奈良時代から採用されはじめた古式の建築様式です。
主に奈良時代・天平期の切妻造りの建造物の妻側に用いられた造りであり、二重虹梁蟇股は、この東大門の他、境内・伝法堂でも観ることができます。
反対側からみた東大門
門には通例であれば仁王像がドッシリと身構えるようにして突っ立っていますが、東大門を反対側から見て左右の間口には仁王像はありません。
その代わりに観音開きの扉とその上部に屋根が据えられた倉庫のようなものが取り付けられています。
かつてはこの中に何か呪いじみた邪気を追い払うようなものを安置したのでないか?と推察されます。
逆に表側にも間口がありますが、反対側(裏側)の間口とは状況が異なり、何もありません。ただ、空っぽの空間があるのみです。
⬆️表側から観た東大門。何もない。
えぇっ?!東大門には不埒にも「落書き」がされていた?!
法隆寺・東大門は、後世の補修などによる変化が少なく、珍しい天平時代の建築様式を今に伝える貴重な門です。
しかし2006年(平成18年)、その柱の1つに「(みん)な大スき」という落書きが発見されました。
この落書きは、石か何かをコスり付けて書いたようです。
そして東大門に落書きを書いた犯人ですが、未だに見つかっていません。
人通りのある所のはずですが・・非常に残念なことですね。
なお、西院側から東大門に向かって立つと、向こう側に東院の「夢殿」の屋根が見えます。
その他の法隆寺の落書きについては以下の別ページにてご紹介しております。
法隆寺 東大門の場所(地図)
法隆寺 東大門は、境内の西側(西院伽藍)と東側(東院伽藍)の間に位置します。

境内の建造物一覧(案内図)
スポンサードリンク -Sponsored Link-
当サイトの内容には一部、専門性のある掲載がありますが、これらは信頼できる情報源を複数参照して掲載しているつもりです。 また、閲覧者様に予告なく内容を変更することがありますのでご了承下さい。







