法隆寺 金堂「四天王立像および邪鬼(四天王像足元)【国宝】

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法隆寺・金堂「四天王像」【国宝】

法隆寺・邪鬼(金堂・四天王像足元)【国宝】

像高

※須弥壇正面右側より※

  • 持国天:133.3㎝(東の方角の守護神)
  • 増長天:134.3㎝(南の方角の守護神)
  • 広目天:133.3㎝(西の方角の守護神)
  • 多聞天:134.2㎝(北の方角の守護神)
造立年

650年頃/飛鳥時代(日本最古の四天王像)

材質

クスノキ材

造立方法

木彫り・彩色・切金

重文指定年月日

1897年(明治30年)12月28日

国宝指定年月日

1951年(昭和26年)6月9日

四天王像・邪鬼の読み方

四天王は「してんのう」と読みます。

邪鬼は「じゃき」と読みます。




「四天王」とは?

仏道では、世界の中心には「須弥山(しゅみせん)」と呼ばれる山があると云われています。

その須弥山の頂上には「帝釈天」と呼ばれる仏様が住んでいるそうです。

この帝釈天に仕える四人の仏様を「四天王」といいます。

四天王にはそれぞれ役割があり、帝釈天の周囲の東西南北の方角を、四人で分担して守護しています。

  • 東の方角を守護しているのが「持国天」
  • 西の方角を守護しているのが「広目天」
  • 南の方角を守護しているのが「増長天」
  • 北の方角を守護しているのが「多聞天」

とされています。

四天王は、日本書記にも登場しており、587年頃の蘇我氏の当主である、「蘇我馬子」と物部氏の当主、「物部守屋」との戦いに際し、聖徳太子もこの戦いに参戦し、その時に「四天王」に戦勝の祈願をしたと記述があるそうです。

そして、この戦いで見事、勝利を手中に収めた聖徳太子は、後に「四天王」をお祀りした「四天王寺」を大阪に建立したと云われております。

ちなみにこの像(広目天像・多聞天像)の背面部には、なんと!制作者の名前が彫られており、その中の人物の1人に「山口大口費(やまぐちのおおぐちのあたい)」という名前が確認できたそうです。

そして、この人物の調査が進められて、なんと!日本書紀に「山口大口費」の名前が登場していたことから、この四天王像の造立された年月が割り出されたそうです。(650年/白雉元年)

法隆寺・金堂「四天王像」の特徴

法隆寺の四天王像は日本に現存する四天王像としては最古だと云われております。

通例の四天王像は躍動感あふれるポージングで造立されることが多いのですが、法隆寺・金堂の四天王像はそれとは逆に落ち着いた直立姿勢で造立されています。

これはつまり飛鳥時代に造立された四天王像の証拠の1つを示すものであり、同時に日本最古の四天王像ということになります。

注目する点は、同じ法隆寺境内の観音堂に安置されている百済観音像の天衣の写実的(リアル)な造形が類似しています。

おそらく百済観音像とこの四天王像は同年代に造立されたと考えることができます。

材質にはクスノキ材が用いられ、その上から彩色が施されていますが、部分的に切金(きりかね)と呼ばれる「金箔を細かく刻んで押していく技法」が用いられています。




法隆寺・金堂「四天王像足元・邪鬼」【国宝】

法隆寺の少し変わった特徴を持つ「邪鬼」とは?

四天王像や仁王像がよく踏んでいるのが「邪鬼」です。

仏教の世界における邪鬼は、異教(邪教)の象徴であり、仏の教えを犯すものです。

しかし上に乗っている四天王から仏法を説かれ、仏教に帰依し、四天王の眷属として仏様になります。

その邪鬼がこの法隆寺にも存在し、その邪鬼というのが金堂の四天王に踏まれている邪鬼たちです。

法隆寺の邪鬼は大きくて、表情もやや大人しく、踏まれているというより、乗ってもらっているかのようです。

そして、なんと言っても、顔です。

「牛」・・でしょうか。(気持ちばかり牛にも似ています)




岡崎先生に似ている!

当該、法隆寺の邪鬼‥‥大変申し上げにくいのですが、小学校時代の国語の岡崎先生にも似ています。

しかもこの岡崎先生、女性。どんなオナゴや

広目天像の足元の「サル顔の邪鬼」↑広目天像の足元の「サル顔の邪鬼」

持国天像の足元の「牛頭の邪鬼」↑持国天像の足元の「牛頭の邪鬼」

増長天の足元の「一角の邪鬼」↑増長天の足元の「一角の邪鬼」

多聞天像の足元の「ヒヒ顔の邪鬼」↑多聞天像の足元の「ヒヒ顔の邪鬼」

なんだか、もはや「鬼」とは到底呼べないような感じがして、逃げたくても動けないので、完全に降参している様子が伺えます。

乗っている方も、怒りの形相で迫力満点のお馴染みの四天王ではありません。

邪鬼が暴れないのをいいことに、直立不動で静かな表情をしています。

邪鬼たちはよく見ると、手首や足首に輪をはめているようです。

・・もしかして「手かせ、足かせ」!?

四天王も安心して乗っているとも考えられます。

ちなみに法隆寺の四天王像は現存する日本最古のものだと云われています。

ぜひ、足元の邪鬼まで注目して見てください。

法隆寺・四天王像及び邪鬼像の安置場所

法隆寺四天王像および邪鬼像は、南大門から直進した先の中門の奥に位置する金堂内部に安置されています。

法隆寺・金堂に関しての詳細は当サイトの以下↓の別ページにてご紹介しております。

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