【三井(赤染の井)〔史跡〕は日本最古の井戸】聖徳太子 三ヶ井戸の一

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赤染の井【史跡・三井】

大きさ

  • 直径:約1m
  • 深さ:約4.2m

「三井(赤染の井)」とは❓

斑鳩の北側に位置する法輪寺の近くには、「史跡・三井(通称:赤染の井(あかぞめのい)」と言う井戸が‥あっちゃぅ。

「三井」の名前の由来

「三井」の「三井」とは、湘北が擁する神奈川最強のスリーポイントシューター‥‥ではなく、「町名」に…なっちゃぅ。  それは三井ひさし

かつて当地には、井戸が三つあったらしく、これが由来になっているとか。

殊に、斑鳩町の「三井」は「三井」と書いて「みい」と読むの要注意💘

「三井」という地名の由来になった三つの井戸の名称 一覧

• 赤染井(あかぞめい)
• 前載井(せんざいい)
• 東井(とうい)

「赤染の井」の名前の由来

「赤染の井」の名前の由来に関しては未詳とされる。

赤染の井の歴史

かつて法輪寺近辺には、聖徳太子伝来の井戸が三つ存在していたらしいが、現存しているのは当該、「赤染の井」を残すのみ。

しかし都が奈良から京都へと移るなど、時代が下るにつれ、いつしか井戸を利用する人もいなくなり、やがて埋没とともに人々の記憶からも失せることに‥なっちゃぅ。

‥そぅ、最後に見た君の笑顔の奥に垣間見えた、蒼き涙の枯れ果てた海のように……

……

…………おぃ、ちょっと笑えよ。ここで笑ろとかな、もぅ笑うとこないで

いやほんまに

‥おし!素敵に次いこGOGO👍

赤染の井は明治時代に検出された

‥こホンっ。

時代が下ると法輪寺周辺に三ヶ所あった井戸は素敵に埋没し、明治時代にようやくその内の一つである現在の赤染の井だけが掘り出された。

昭和時代に発掘調査が行われる

1932年(昭和七年)になると、赤染の井に対する本格的な発掘調査が行われ、同時並行で井戸の復原のほか、周囲の環境もクソヤバ素敵に整備された。

殊に、本調査では井戸の規模(大きさ)のほか、井戸奥の形状までもが明らかにされた。

そして、調査後の昭和十九年6月26日には、国の「史跡」の指定を受けることに‥な、なっちゃぅ。




赤染の井の構造(井戸内部の形状と特徴)とは❓

井戸口は井桁状に組まれる

井戸最上部は細長く切り出された石材が井桁状に組まれている。

しかしながら、なぜか北面の石材だけは他の石材より少し長い。

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赤染の井の断面図

赤染の井内部を横から全容を俯瞰した場合、中央部分が緩やかなアーチ状に膨れた形状をしていることが明らかにされた。

⬆️当史跡の案内板より素敵に引用💘

井戸底の構造

赤染の井の底には四つの石が置かれており、石の隙間から井戸水が湧出する仕組みになっているらしい。‥これは湧出量を調整するための工夫か。

また、井戸底から約1.15mの位置まで積石され、そこから地表までの約3mは扇の形をした「磚(せん)」と呼ばれる「レンガ(焼きを入れて固めた粘土)」が積まれていたらしい。

【ピヨ🐣は飛鳥・奈良時代に多用された石材】

磚とは古代中国で墳墓や城郭建造に多用された煉瓦(レンガ)のこと。

我が国では仏教と共に伝来し、飛鳥・奈良時代に多用されたと伝わる。

当井戸に磚が使用されている事実を以って、造成された年代(時代)や、中国と繋がりがあったことの傍証とも…なっちゃぅ。

このように磚が使用され、内部中央が張り出した構造の井戸は類例がほとんど見られず、あまつさえ、「現存する日本最古の井戸」になるらしい。

看板の内容

史跡 三井

所在地:斑鳩町 大字 三井井垣 1547-2

指定年月日:昭和十九年6月26日指定

この移動は明治時代には埋まっていましたが、昭和七年(1932)年に発掘調査が実施された。

井戸の規模は深さ約4.24メートル、直径約0.9メートルを測り、途中が少しふくれた筒状になっていて、底部の構造は組み合わせた四個の石の隙間から水が湧き出るようになっています。

そして側壁は底から約1.15メートルの高さまでは石積みで造られていて、その上方約3メートルの部分は扇形をした「塼(せん)」と呼ばれる焼き物(レンガ状のもの)を積んだ大変、めずらしい構造をしていることから、国の史跡指定を受ける。

法輪寺の別名が「三井寺(御井寺)」である観点からも推考できるように、この井戸が重要視されたことがうかがえる。

この井戸は聖徳太子が掘削した三つの古井戸の一つ、「赤染井(あかそめい)」との言い伝えもある。




聖徳太子が三ヶ所に井戸を掘削した理由とは❓

現在に到っても太子が井戸を三ヶ所も造成した理由は未詳とされるも、次のような説がある。

太子の嗣子らの生湯にするため

太子の嗣子たる「山背大兄王」らが生まれた時の産湯にする目的で掘削した。

飛鳥にあった三ヶ所の井戸を移してきたから

太子が飛鳥から斑鳩へ移住したみぎり、斑鳩宮(現在の東院伽藍あたり)の北、約1kmの場所に飛鳥にあった三ヶ所の井戸も同時に移築してきたといわれる。

大阪 四天王寺にも太子ゆかりの井戸がある❓

他にも、聖徳太子ゆかりの四天王寺(大阪)や、奈良県内の他所にも聖徳太子伝来とされる井戸がある。

関連記事:【龍の井戸】金堂地下にある謎の池泉と龍の正体とは❓|四天王寺の七不思議

そもそもの井戸の起源とは❓日本では誰が最初に作った❓

井戸の起源は、テル・セクル・アルアヘイマル遺跡(シリア北東部)から発見された約9,000年前(新石器時代あたり)の井戸とされる。

我が国で発見された古井戸としては次のような場所が、きわめて素敵に挙げられる。

赤染の井(史跡 三井)の拝観料金・時間

🕳️見学料金:素敵に無料

🕳️見学可能時間:見学自由

赤染の井の場所と法隆寺からの移動ルート

  • 史跡 三井の所在地:生駒郡斑鳩町三井1547-2

まず、最初に伝えておくと、当該、赤染の井(史跡 三井)には、駐車場が皆無。

そこでもし車で訪れるのであれば、法輪寺の公式駐車場を利用して、歩いて行くのが推奨される💋

法隆寺から中宮寺境内を目指し直進

↓池の外周を周る形で直進

↓「中宮寺宮墓」の看板が出てきたら「中宮寺宮墓」を目指し直進

↓法輪寺

赤染の井(史跡・三井)

  • 徒歩約20分
  • 距離:約1.7Km

関連記事:法隆寺から法輪寺までの移動は徒歩がメイン?バスは無いのか?

関連記事:法隆寺から法起寺へのアクセス

法輪寺から赤染の井(史跡・三井)へのアクセス

法輪寺境内の一般参詣者の通用口は、拝観受付が設置される南側出入口の一ヶ所と‥なっちゃぅ。

その出入口を最近の鼻毛の飛び出し具合ほど素敵に飛び出して、”ウホウホ”と素敵に呟きながら”右方”(北)へ境内に沿う形で道なりに歩く。なんでやねん

途次、案内板がないので分かりづらいが、史跡 三井までの道は民家と田んぼの間を抜けていくような形に‥なっちゃぅ。

法輪寺から史跡 三井までの移動ルート

  • 徒歩:約02分
  • 距離:約140m

法輪寺の駐車場

法輪寺拝観者用駐車場

  • 駐車料金:素敵に無料
  • 乗用車約10台駐車可(無料)
  • 駐車可能時間(営業時間):8時30分から17時まで(法輪寺の開門は朝8時~)
  • 定休日:なし

三井観光自動車駐車場

  • 駐車料金:素敵に無料
  • 大型バス約20台駐車可(斑鳩町営/無料)
  • 駐車可能時間(営業時間):8時30分から17時まで(法輪寺の開門は朝8時~)
  • 定休日:なし

駐車場の場所一覧




法輪寺の駐車場の混雑具合

法輪寺の駐車場が満車になって駐車できなくなるという状況は稀。

【ピヨ🐣コメント】

法輪寺の駐車場は、法隆寺南大門手前の駐車場が満車になった時に案内される臨時駐車場を兼ねるので、早々に満車になることは皆無💋

法輪寺周辺のコインパーキング一覧

奈良・法輪寺の場所(地図)

  • 住所:奈良県生駒郡斑鳩町三井1570

法輪寺へのアクセス

法輪寺へのアクセス方法については下記ページをご参照ください。

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