法隆寺 聖霊院「山背大兄王像(木造聖徳太子および眷属像)」【国宝】

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奈良 法隆寺・聖霊院「山背大兄王像」【国宝】

造立年

1121年(保安2年)※平安時代

像高

63.9㎝

造立方法

木造・切金※彩色

安置場所

聖霊院

法要

お会式(聖霊会)

聖徳太子との関係

生年は不明、太子の息子であり、つまりは蘇我氏の一族になります。

父親・太子を深く敬愛し、自らも率先して仏法を重んじたと伝えられていますが、蘇我氏の派閥争いや権力闘争に巻き込まれ、643年(皇極天皇2年)に斑鳩宮もろとも蘇我入鹿に滅ぼされてしまいます。

尚、入鹿によるこの斑鳩宮襲撃によって山背王の一族郎党すべて斬殺、もしくは逃げ落ちた挙句、生駒山内で首を吊って自害しています。

つまり、聖徳太子の家系(上宮王院家)は斑鳩宮襲撃によって断絶したということになります。




「山背大兄王像」の歴史・特徴

平安時代の仏像の特徴が顕著

もっとも平安期の仏像の特徴が顕著な点がプックリとした丸顔になります。

またこの太子像のみ、聖霊院の内陣奥の唐破風(からはふ)付きの豪華な厨子に安置されていることからも、その重要度が分かります。

表面には切金(截金/きりかね)と呼ばれる金箔・銀箔などと絵の具(顔料)を混ぜ込んだ塗料が塗られています。

現在はわずかに彩色が残るのみですが、造立当初は見事な彩色の仏像であったことが想像につきます。

山背大兄王像はいつでも観れない?!

大抵の仏像はいつでも観れるような印象がありますが、本像は聖徳太子像をはじめとした他5躯の像とともに1年に1回しか拝観することができません。

その1年にたった1回拝観できる日が「お会式」になります。

「お会式」とは?

聖徳太子好きであれば「3月22日」の数字を見てピンっ!ときた方もいると思われますが、お会式とは「聖徳太子の命日(旧暦2月22日)」に執り行われる法要になります。

この聖徳太子の命日を供養するために営まれる大法要が「お会式」です。

お会式の歴史は古く、748年(天平20年)頃から受け継がれている、法隆寺における最大規模の大法要となり、毎年行われる聖霊院の法要を「小会式(おえしき)」と呼称します。

この聖霊院で執り行われるお会式の期間は、例年3月22日から3月24日まで。時間は13時から開始されます。

期間中の3月22日のお会式(御命日法要)の時にのみ、上述の「聖徳太子像」および「山背大兄王像、殖栗王像・卒末呂王像・恵慈法師像」を特別に一般公開されます。

また、お会式の前日となる3月21日の夕刻18時頃、御逮夜法要(おたいよほうよう)と言う法要が営まれ、この法要の時にも内陣厨子の扉が開かれ、聖徳太子像および従者像(山背大兄王像、殖栗王像・卒末呂王像・恵慈法師像)を拝観できるとの話です。

「逮夜法要」とは故人が亡くなった前夜のことを意味します。

法隆寺・聖霊院のお会式前夜「御逮夜法要」の概要

日程:3月21日(御逮夜法要)
開催時間:18時~
入場料金(参加料金):無料

法隆寺・聖霊院のお会式「お小式」の概要

日程:3月22日
開催時間:13時~
入場料金(参加料金):無料

お会式は聖霊院内部に座席が設けられ、先着順で着席する形になります。

混雑具合に関しては当日、法隆寺へ問い合わせてみてください。

法隆寺・聖霊院に関しての詳細は以下の別ページにてご紹介しております。

関連記事: 奈良・法隆寺「聖霊院 」【国宝】

「山背大兄王像」の安置場所(地図)

山背大兄王像のほか、聖徳太子像、卒末呂王像、殖栗王像、恵慈法師像は聖霊院に安置されています。

聖霊院は中門を向かい見て右手の方向に位置します。

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