法隆寺 南大門の左右の間口には以下のような「2つの金剛力士像(仁王像)」が安置されてい‥申す。えっ
法隆寺中門・金剛力士像「阿形(あぎょう)」【重要文化財】
造立年
- 711年(和銅4年/天平時代)
大きさ
- 像高:379.9cm
材質
- 塑像(粘土)
法隆寺中門・金剛力士像「吽形(うんぎょう)」【重要文化財】
造立年
- 711年(和銅4年/天平時代)
大きさ
- 像高:378.5cm
材質
- 塑像(粘土)
作者
- 不明
木舞造りと「仁王像(塑像)の作り方とその素材」
現在、多くの寺院で見ることのできる仁王像は、おおむね一本の木を彫り抜いた「一木造り(彫り)」と呼ばれる技法が用いられています。
これら一木彫りの仏像は平安時代に造立された像に多く見受けられます。
しかし、法隆寺の仁王像は木で彫った物ではなく、粘土で塗り固められれたものなのです。
通常は「心木」と呼ばれる木材を中心として、竹などの軟質の木材を集めてきて、それを細かく縦の筋状に裁断します。
その後に、自らの創りたい形の造形に整えて、縄でククリ付けて組んで行きます。
組み終えた竹に粘土を用いて、自らの頭の中のイメージを模して造形していきます。こうして、塑像が完成して行くのです。
しかし、この仁王像のように大きな物に関しては木材とは違い、金属に近い物質も用いられました。その代表的となるものが「銅」です。
銅を細く長細い形状に加工して、それを組んで形を整えて行きます。形を整える際は、縄などでククリ付けてうまく形状を確保していきます。
その後、粘土で形を整えていき最後の調整として、粘土を削って形を整えていきます。
作成し終えた後は、自然乾燥によって乾かして完成です。
このようにして、作成された塑像が、近代化された現代に至るまで、数千年もの間、ほぼ野ざらし状態で現存していること自体が、本当に奇跡という他ありません。
まさに、卓越した先人の職人たちの知恵と技術と職人魂の結晶と言えます。
なお、法隆寺の中門の金剛力士像は、国の重要文化財指定を受けています。また、国内に現存する仁王像の中では最古のものになります。
法隆寺の仁王像も「吽形」と「阿形」の対!
法隆寺の金剛力士像も通常の金剛力士像に見られるような「吽形(うんぎょう)」と「阿形(あぎょう)」です。
法隆寺に伝わる「法隆寺伽藍縁起ならびに流記資財帳」には「711年(和銅4年)に造立された」という記述が残されています。すなわち中門が完成のちにこの仁王像が中門に安置されたことが分かります。
ただし、完成後、理由不明の損傷を負うことになり、奈良時代にはじめて修復されており、以後も幾度か補修されています。
このため見た目は多少変わってしまっているようですが、風雨が容赦なくあたる場所に約1200年以上立ち続ける立派なお姿です。
現代に至るまでに修繕費用や技術的な関係で大規模な補修には至らずに、上から粘土を塗り重ねるなどの補強がされていたようで、造立当時の面影は像の奥に封印されたままとなっています。
が、しかし!1200年です。・・とてつもない年数です。
・・ハッキリ言って、驚きを通り越して言葉がでません。
造立当初は甲冑姿だった可能性もある?!
天平時代に造立された仁王像の多くは甲冑を身につけた姿で造立されていますが、法隆寺の仁王像は上半身素っ裸のお姿です。
梅干しの種サイズのウギャギャ(訳:ビ〜チク♡)がピンコ立ちしている様子までもがリアルに表現されてい‥申す。きゃ
これらは後補(後の時代で修理)だったことを素敵に物語る論拠でもあり、ひょっとすれば造立された当初は甲冑を身につけていた可能性も推考される。
さらにつけ加えれば天平期に造立された仁王像の多くは「門」ではなく、「堂内」に安置される例がほとんどなので、ひょっとすればかつては堂内で安置されていた・・などとも考えることができます。
ちなみに双方の仁王像ともに頭部のみが天平時代のもので、頭部より下は後補のもの。
「赤っぽい阿形の仁王像」は木心塑像、「黒っぽい吽形の方の仁王像」は、室町時代の大修理で部分的に木造になってしまっています。
なお、仁王像の前には木柵が設置されている程度で金網などは張られていないので、写真を撮ってもキレイに撮影が出来るハズです。
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