法隆寺にも血に染まった都市伝説があった?!

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この法隆寺は、世界木造建築でも最古の建造物といわれ、現在に至るまでには、一言で語ることができない想像を絶する歴史があります。

奈良・法隆寺にも血に染まった都市伝説があった?!

そして、その中には、現代に生を得た我々では考えも付かない、途方も無い、事実というのも存在するようです。

その中の事実というものが、未だ謎の人物とされる聖徳太子にまつわる、血に染まった恐怖の都市伝説です。




法隆寺の都市伝説【その1】「聖徳太子の祟り」

法隆寺の都市伝説【その1】「聖徳太子の祟り」

東院伽藍の夢殿に祀られる観音菩薩立像(救世観音)は、聖徳太子の在世中に作られた、等身大の像だとも言われています。

法隆寺ができる前、この場所には斑鳩宮と呼ばれる聖徳太子の住居があったことから、夢殿は、聖徳太子を偲んで建てられたとされています。

739年に夢殿に納められて以降、夢殿のご本尊救世観音は、完全なる秘仏であり続けました。

この謎を語るときにもはや欠かせない存在である梅原猛著「隠された十字架(新潮社)」によると、以下のような述べられています。

「当時、都で伝染病が蔓延し、政治の中心にいた人物も相次いで病に倒れた。」

「これを聖徳太子の怨霊による呪いと考えた人々(政治権力を握っていた藤原氏)が、聖徳太子の怨霊供養のため、法隆寺を創建した」

ということです。

なぜなら藤原氏は、聖徳太子亡き後、その家系断絶に手を貸した負い目があった(という説もある)からです。

そして聖徳太子の息子を始めとする一族が攻められ自害したのが、何を隠そうこの場所。
この悲劇ゆえに救世観音の「封印」を解くと聖徳太子の怒りに触れ、祟りがあると信じられ、長い間法隆寺の僧侶も拝めなかったのだとか。

その「封印」を解くきっかけになったのは、明治時代、調査のためフェノロサらが法隆寺を訪れ、開帳を迫ったこと。彼らは説得に説得を重ね、やっとのことで秘仏公開、となったのです。




法隆寺の都市伝説【その2】「予言者・聖徳太子」

「恐ろしい」繋がりでもう1つ。

聖徳太子の超人的な能力に関しては数々の伝承がありますね。

実は、彼の言葉による「未来記」という予言書があったとも言われているんです。

今は残っていないとされていますが、伝承や古文書の内容を寄せ集めると、以下↓のようなが予言されていたそうです。

  • 聖徳太子本人のまもなくの死と一族の断絶
  • 平安京の起こりと1000年間の繁栄
  • 鎌倉幕府の成立
  • 蒙古襲来
  • 黒船来航と東京遷都

実際には、まとまった形で「未来記」が残っているわけではなく、これらの予言が本当に聖徳太子の在世中の言葉であったかどうかは疑問、ということですが・・。

しかし、これが真であるならば、これは恐ろしいを通り越してとんでもない事になります。

法隆寺の都市伝説【その3】太子の予言と「破壊神・クハンダ」

更に更に、東京遷都から約200年後(2068年ですね)、その都は「クハンダ」によってばらばらになる、という予言もあるんです。

「クハンダ」とは、末世に現れる鬼神。

「末世」というのは、仏法が廃れ、乱れた世のことを意味します。

この予言について時期ははっきりとはわかりませんが、末世の始まりは2000年、2013年、2016年または2017年とされているので、その頃から徐々に、ということでしょうか。

「クハンダ」が実際には何なのかということも含めて、密かに注目されています。

教科書には載らない、聖徳太子の謎。

まだまだ伝承、仮説、推測の域を出ない話もあります。

しかし、それも含めて、ミステリーとしては魅力的です。

夢殿を訪れる時は、ぜひ思い出してください!

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