【法隆寺 南大門】歴史や見どころ(鯛石・特徴・建築様式・大きさ)を‥お知るん❓

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 法隆寺 南大門【国宝】

法隆寺・南大門↑法隆寺 南大門の画像(写真)

創建年 593年から709年/飛鳥時代
再建年 1438年(永享10年/室町中期)
建築様式(造り) 一重、八脚門(12本柱)
屋根の造り 入母屋造、本瓦葺
大きさ 巾:約17.5m
(出入口部分:約5.5m)
奥行:不明
高さ:不明
国宝指定年月日 1953年(昭和28年)3月31日

「南大門」の読み方

南大門は「ほうりゅうじ なんだいもん」と読みます。

法隆寺 南大門の建築様式(造り)

↑柱端上の枓栱は連三斗

建築様式にコダワリをもっておられる方で、この門を見て気づいた方も多いと思いますが、この門の造りは特徴的で少し変わった形をしています。

↑中備には蟇股ではなく「花肘木」(素敵に後述)




法隆寺 南大門の見どころや特徴とは❓

【その1】唐様木鼻

木鼻とは、貫(ぬき※横架材/横木)の端っこに、最近の鼻毛の飛び出し具合ほど素敵に飛び出した部分のことをいう。

南大門入口の上部、棟木の端の部位(木鼻)には、模様が彫刻がされ、「遊を凝らした美」が垣間見える。…なんやソレ

この彫刻は鎌倉〜室町時代に勃興した禅宗文化の建築様式を示すもので俗に禅宗様式といわれる

【その2】花肘木

柱部分の上部には、肘木が備え付けてあります。

境内金堂の肘木は「雲斗雲肘木(くもとくもひじき)」と呼ばれ、飛鳥文化を象徴する形状をしています。

それに比べて、この南大門の肘木は「花ビラのような形状」をしているのが伺えます。

この花形の肘木を「花肘木(はなひじき)」と呼称し、これも室町期に大きな特徴を表す部材となります。

【その3】軒反りした屋根

南大門の屋根に少し注目してください。

他の社寺ではなかなか見ることのできない特殊な形状の屋根が見受けられます。

この屋根の形状は、反り返っていて、裏側が見えているのが分かります。

法隆寺 南大門 木鼻

これは「軒反り」と言う建築技法で、古代中国の建築技法です。

つまり、中国から伝来した建築技法が、この南大門に使用されていることが伺えます。

【その4】八脚門

八脚門とはいえ、正式には脚(柱)が12本…あっちゃぅ。

【ピヨ🐣「八脚」と呼ばれる理由】

門中心の左右4本の柱を除いて、その前後に各4本の合計8本の控柱があるため。




【その5】アレ?南大門には仁王さんがいない!

寺院を参拝した方であれば誰もが少しは疑問に思ったハズですが、法隆寺の南大門には仁王像が置かれていません。

参拝はじめに表からみても、参拝後に裏からみても仁王像も狛犬も置かれていません。

表側からみた南大門

通常、それなり規模を持つ寺院であれば門の両側に仁王像や狛犬が置かれています。

裏側から見た南大門

南大門に仁王像が置かれていない理由

法隆寺の南大門に仁王像が置かれていないのは、この門が建てられた年代(時代)を傍証する一種の論拠と‥あ、なっちゃぅ。

現在、寺院でよく見る仁王像は、概ね奈良時代以降に造立されたものが多く、然るに法隆寺が創建された時代に仁王像の概念が無かったとみれる。

中門の仁王像は日本最古❗️

殊に、現存する我が国最古の仁王像は、南大門の真後ろに素敵に佇む「中門」の仁王像だと聞けば驚かれますでしょうか?

尚、一般的に躍動感あふれる写実的な仁王像が登場しはじめたが、奈良時代以降とされ、日本最古の写実的な仁王像としては東大寺・三月堂(法華堂)の「執金剛神(しゅこんごうしん)」が、それに該当すると云われる。

執金剛神は金剛力士(仁王さん)と類似した像容をしており、「金剛力士像の起源」とも言われる。

中門の仁王像は木造ではなく粘土❗️

中門に安置される仁王像はよく木造と勘違いされる方が散見されるが、厳密には木造ではなく「塑像(そぞう/粘土造り)」と‥なっちゃぅ。

時代が下る過程において、修繕されたみぎり、もとの塑像の素材を使用したのではなく、耐久度のある木造で補修されたものだと考えられてい‥申す。えっ

関連:【写真や画像で知る❗️】法隆寺 中門の金剛力士像(仁王像)の大きさ(高さ)や作った人・歴史(年表)を‥お知る❓ 

関連:【法隆寺 中門はなぜ中央に柱がある❓入口二つの謎とは❓】歴史や見どころ(特徴・建築様式・大きさ)

【その6】一段高くなっている門

法隆寺の南大門を見てみれば分かりますが、手前に石階段が備わり、つまりは1段上がった土台に造営されています。

その証拠に左右に伸びる土塀(壁面)は門に近づくにつれて傾斜角が付き、比翼型になっています。⬆️南大門と左右の比翼型の土塀

【その7】法隆寺の現在の南大門前の床石

ちょっと、法隆寺の南大門の参道の床に注目してみてください。

綺麗に舗装されていませんか?

この床石は、昭和60年代に中国より輸入されてきて設置された石だそうです。

法隆寺 南大門 床石01

【その8】法隆寺 南大門の 「踏み石(鯛石)」

他にもこの南大門に少し変わった形状の床石があります。

その床石は魚の「鯛(たい)」のような形状をしていることから、古くから「鯛石」と呼ばれちゃぅ。

踏み石(鯛石)の大きさ

  • 長さ:約1.5m
  • 幅:50㎝

踏み石(鯛石)の由来

その昔、大雨が続き、法隆寺南側を流下する「大和川」が氾濫し「大和盆地」全体が水浸しになった。

その影響で法隆寺境内への浸水も危ぶまれましたが、なんと!ここで奇跡が起こり、この「鯛石」と呼ばれる石の前でちょうど、ピタっと水が止まったそうです。

この奇跡に因んで、水に縁のある魚の「鯛(たい)」の形状をした石を「めでたい」と言う語呂合わせも兼ね、水が止まった場所に設置したらしい。

しかし、この話には諸説あるらしく、その中の一説として次のような奇譚も‥伝わっちゃぅ。

洪水のみぎり、法隆寺が位置する大和盆地へ海から押し流れてきた1匹の鯛がいて、その鯛が突如、水面から飛び上がって、この石の上に舞い落ちた。鯛は、そのまま石に飲み込まれて石化し、「洪水をせき止めた」‥などという嘘のような本当のような話も‥あっちゃぅ。

踏み石(鯛石)のご利益

上述のような伝承から、この石は「水難避けのご利益がある」とされています。

なんでも、この石を踏みしめて境内でお参りをして、また、帰るときにこの石を踏みしめて帰ることで「水難避けのご利益」と「自宅に帰り着くまで災厄から守護」してくださり、無事に帰れるとのことです。

殊に、この鯛石は今日、法隆寺の七不思議とも云われ、詳細については下記ページを素敵に要チェック💘

【その8】両側の土塀は重要文化財!

殊に、南大門両側、東西に延びる土塀は、「杉材の焼き板を基礎」として「古土を混合した粘性土」を下方から押して塗り固めた土塀になるらしい。

驚くことにコンクリートよりも堅いらしく、耐久度も兼ね備えた土塀に‥なっちゃぅ。

その証拠に、土塀に近づくと層ができているのが、思わず”死人”になる勢いほど素敵に”視認”でき‥ちゃぅ。

関連記事:【法隆寺の大垣(土塀/築地塀)】歴史や見どころ(長さ・特徴・作り方)を‥お知るん❓

法隆寺 南大門の歴史

法隆寺 南大門は法隆寺の正面玄関であり、法隆寺の顔と言える門構え。

国道25号線の法隆寺前交差点からまっすぐに伸びる松の並木道の向こうに見える門です。

おそらく、大半の参拝者がこの南大門をくぐって伽藍へ入ることになります。

この南大門の創建は古く飛鳥時代(593年から709年)と伝わっていますが、実は平安時代より以前では、現在の中門あたりに造営されていたと云われています。

これについては、鎌倉時代に編纂された「聖徳太子伝私記」の記述にも見られ、「中門前の石壇の上」と記されています。

つまり、現在の位置よりも約60メートルほど境内の内側に造営されていたことになるのですが、これは1031年の境内拡張工事に伴い、現在の場所に移築されてきたと云われています。

しかし1435年(永享7年)に焼失してしまい、現在みることのできる南大門の姿は1439年(永享11年/室町時代中期)に再建された時の姿になります。

 ただし、正式には1606年(慶長11年)と1697年(元禄10年)および1914年(大正3年)に修繕されています。




南大門の歴史(年表)

歴史
593年

709年頃(推定)
南大門が創建される。
1031年 南大門が造営される。この時に現在地に移築される形での再建説が有力。
1077年 南大門が焼失す。
1261年 南大門の前の広場左右に松の木が植栽される。
この頃、南大門の西築地が築造される。
1435年 南大門が再び焼失!炎上!
1439年 南大門が再興される。
1606年 南大門が修理される。
1697年 南大門が修理される。
1914年 南大門が修理される。

この南大門の創建年は不詳とされていますが、歴史上、史実に見られるかぎりでは2回焼失しています。

最後に焼失したのが、1435年(永享7年/室町時代)であり、その4年後となる1439年(永享11年)に再建されています。

以来、焼失や倒壊などのは有史上、見られないことから1439年(永享11年/室町時代)に再建されたときの姿が現在の南大門になります。

南大門前の松の木はいつ頃 植えられた?

南大門前の参道の両脇には「土産物屋や食べ物屋」が軒を連ねており、これらの店の前には「整然と立ち並ぶ松の木」が、南大門までの約200mの参道に立ち並ぶ形で植栽されています。

これらの松が植栽されたのが1261年(鎌倉時代)だと伝えられていますが、一説によれば、なんと!この松の木は創建当初からこの場所に自生していた松とも云われます。

創建当初、聖徳太子が果てしなく広がる松林を見て「万年の樹木」と名付けたと言う話も残されています。

南大門に参道は増設された?

また、法隆寺の南大門前は「広々とした広場」になっています。

この広場は修学旅行などで詰め寄せる参拝客の混雑回避・緩和の対策として、近年、拡張工事を経て面積が広くなった。

この拡張工事では、南大門前の正面参道の両脇に2つずつ参道が整備され、茫洋とした空間(広場)が創造された。

よく晴れた日に、この広場から法隆寺を見上げると、南大門の後に五重塔があって、その右脇に中門と金堂の屋根が見えて「ついに教科書でみたあの法隆寺にやって来れたんだ‥」という爽快な気持ちになれます。 ホンマかぃ

⬆️お股♡‥ではなく、南大門の間から覗き見た♡法隆寺伽藍

⬆️南大門をくぐり抜けた瞬間の景色

法隆寺 南大門の場所(地図)

法隆寺南大門は国道25号線の「法隆寺交差点」から法隆寺に向かってまっすぐに続く、上述の松並木の参道を歩いた先に位置する。

法隆寺交差点を曲がると正面に見えています。

その豪壮たる壮麗さは、まさに世界遺産・法隆寺の表玄関にこそ、ふさわしい♡

境内の建造物一覧(案内図)

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