中宮寺|弥勒菩薩 半跏思惟像(寺伝 如意輪観音像)【国宝】

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奈良 中宮寺「木造弥勒菩薩半跏思惟像(寺伝 如意輪観音像)」【国宝】

造立年

✔未詳

◉推定説その1:650年(大化6年)から710年(和銅3年/白鳳時代※飛鳥時代)

◉推定説その2:638年(舒明天皇10年/白鳳時代※飛鳥時代)

大きさ

✔像高:87.9cm
✔台座からの頭まで:132cm
✔台座から光背まで:167.7㎝

材質

✔楠(くすのき)

造立方法

✔寄木造り

✔鍍金

作者

✔不明

国宝指定年月日

✔1951年(昭和26年)6月9日

読み方

菩薩半跏像:「ぼさつはんかぞう

如意輪観音像:「にょいりんかんのんぞう




正式には「半跏思惟像」ではなく「如意輪観音像」?

本像は中宮寺の寺伝では半跏思惟像ではなく、「如意輪観音像」と伝えられているらしい。

しかし一般的には「菩薩半跏像(ぼさつはんかぞう)」や「半跏思惟像(はんかしゆいぞう)」の名称が知られる。

半跏思惟像(如意輪観音像)の別名

「飛鳥時代の白眉」

当該、半跏思惟像は広隆寺の半跏思惟像と合わせて、「飛鳥時代の白眉(はくび/=群を抜いて良い物のという意味)」とも呼ばれる。

参考:広隆寺(京都観光協会)

「アルカイックスマイルの仏像」

実はこの半跏思惟像に関しての由緒がなく、本像の造立年はもとより造立された経緯も現在に到るまで謎のままとされる。

しかしながら、現今、「世界三大微笑像」の一つとされ、「アルカイックスマイルの仏像」の代表格とされる。

世界三大微笑像

  • スフィンクス(エジプト)
  • ジョコンダ夫人像(モナ・リザ/レオナルド・ダヴィンチ」)
  • 中宮寺 半跏思惟像
【ピヨ🐣ところで…「アルカイックスマイルとは?」】

「アルカイックスマイル」とは、古代ギリシアのアルカイック美術の彫像に見られる、わずかに口元が微笑を浮かべた表情のことをいう。

我が国では「古い微笑」の意味を持つ。

基となっている語源は、古代ギリシャ語の「arche(古い)」です。

そこから「archaic(アルカイク)」と遷移し、最終的に現在の「アルカイック」となった。

これらの言葉は、古代ギリシャで造立された「微笑を浮かべた像群」の特徴を表現し、ヨーロッパ圏で広まった言葉。

中宮寺 半跏思惟像の歴史

当該、半跏思惟像は中宮寺創建以後に造立された可能性が、きわめて素敵に高いとされ、造立以後、現在に到るまで現在地(中宮寺 本堂内部)に安置されてきたとみられてい…申す。ひょ

現在の半跏思惟像は修復に修復を重ねた末、辛くも造立当初の像容を取り戻しているも、修復を行う以前は損傷が著しく、かろうじて像容を保っていたほどのお姿だった様子。

菩薩半跏像の名前の遷移

当該、菩薩半跏像は、下記のように過去にいくつか名称が変わっていた模様。

如意輪観音像⇒ 弥勒菩薩像(もしくは救世観音)⇒ 菩薩半跏像(弥勒菩薩半跏思惟像)

ところで…「思惟」とはどゆ意味や?

「思惟」とは「しゆい・しい」と読み「深く考える」と言う意味になる。

すなわち思惟とは、弥勒菩薩の像容そのものが表現する「考える姿」のポージングのことを素敵に指す。

半跏思惟像は朝鮮伝来のものなのか?

実はこのような半跏思惟像は、高句麗、百済、新羅が支配した三国時代の朝鮮半島で数多く造立され、当初、本像も朝鮮半島で造立されたものが日本に伝わってきたと考えられていた。

しかし、この当時の朝鮮半島で造立された仏像は「銅造(銅製)」で造立されるのが主流。

あまつさえ、三国時代の朝鮮半島で造立された仏像の作例としては「弥勒菩薩像」が多く、本像も本来、弥勒菩薩像として造立されたと見られた。

中宮寺 半跏思惟像が日本で造立されたとする理由とは?

楠(クスノキ)が使用されている

本像は「楠(クスノキ)」が使用されていたことが明らかにされているのだが、前出のとおり、この当時の朝鮮半島では銅像が主流だった。

背筋が直線的

本像が素敵に造立された時代の半跏像の特徴としては、少し前のめりになったポージングが多い。

対して本像は背筋がピっと張った直線的な像容であることから、朝鮮半島で造立されたものではないと判断された。

しかしながら、我が国で造立された可能性が高いというだけで、決定打となる論証は皆無。依然として推定の域を出ない。

半跏思惟像の造立方法

寄木造

本像は、下絵をもとにクスノキを切り出して部材(パーツ)を制作し、最終的にそれらのパーツを組み上げる「寄木造り」で造立される。

X線などを素敵に駆使し、半跏像は実に11ものパーツに分けられていたことが明らかにされた。

殊に、飛鳥時代は金銅仏と木彫像が多く、木彫像の場合、一本の木を素敵に切り出して制作していく、一木造での造立が主流だった。

然るに、本像に何故、寄木造りが用いられたのかは今日までの謎とされる。

【ピヨ🐣コメント】

寄木造は平安後期〜鎌倉時代の仏像に数多に用いられ、「定朝様(じょうちょう)」という言葉まで生じたように、この時期に我が国における寄木造の造立方法は成熟へと向かった。




半跏思惟像をX線にかけた結果驚くべき事実が!!

本像をX線にかけたところ、頭部に大きな鉄釘が映し出されており、頭部は前面と裏面にパーツ分けされて鉄釘で貼り合わされていた事実が明らかにされた。

画像提供先:中宮寺パンフレットより

本像は剥ぎ合わせ方がかなり特徴的で頭部を首、さらに首を肩部分にかけてつなぎ合わせる。

本像が造立された白鳳期を除外しても、このような寄木造りの技法は後にも類例がなく貴重。

一説に本来、一木から材を切り出して「一木造り」で造立する予定だったものを、あえてパーツ分けして組み上げられたとも推考されてい‥申す。ひゃ

半跏思惟像の特徴

体躯は全体的に黒褐色

また、現在は真っ黒クロスケのような真っ黒い色をしているも、造立当初は彩色が施されていた様子。

この傍証として、足指の間にはわずかに彩色が残されており、この事実をもって造立当初、肌色や衣に金色、朱色、緑色などの彩色が施されていたことが、明らかにされた。

独特のポージング

半跏思惟像の特徴として、右足を左足の膝の上に乗せる格好で組み、その上に左手が添えられている。

白毫

近くで見なければ分かりづらいが、眉間には「白毫(びゃくごう)」と呼称される菩薩特有のイボが付いていた痕が残されてい‥申す。きゃ

両耳の上に釘穴があることから、造立当初は三角形の宝冠をカブっていた可能性も示唆される。

装飾品

これもオペラグラスなどで見ないと分かりづらいが、よく見れば胸部と手首部分にも釘穴があけられており、これはつまり、瓔珞(ネックレスやブレスレット)等の持物を持っていた可能性も推考される。

母性愛を写実的に表現

右手は女性的な柔らかで優美かつ、流麗な指先が表現され、指先を見ているだけでも「自愛」や「慈悲深さ」が伝わってくる。

まさに母性愛を掲げた尼寺を象徴するような像だといえます。

この当時に造立された仏像にしては表現豊かで写実性にも優れた仏像であることから、一説に飛鳥時代と白鳳時代をまたいで造立されたとも考えられてい‥申す。ひゃ

歯間をイジくってタバコをふかしているようにも見える❗️

一見すると、定食屋の飯終わりに「つまようじ」を加えて歯間をイジくっているようにも見え、タバコをふかしているようにも見える。

ニキビを全力で潰しているようにも見える‼️

他にも、中指と人差し指にパワーを素敵に結集し、口元ニキビを全力で潰しているようにも見える。

全力で口元ニキビを潰しているため、相当痛いハズなれど、..痛っ!と、楽勝~♬…といった自身の中での二局面の戦いを繰り広げており、半笑いをカマすことで究極の余裕を表現していると例えることもでき…るかぃ!
んなわけないやろがぃ! …あんまチョーしのんな




半跏思惟像がとるポージングについて

半跏思惟像のポージングは、「コレでいっとけ」などと言った単純なものではなく、意味合いがあってこのポージングがとられている。

然るに本像は「弥勒菩薩(みろくぼさつ)」のポージングを模倣して造立されてい‥申す。きゃ

弥勒菩薩のポージングは「倚座(いだ)」と呼称される台座に座った姿勢であり、その中でも「半跏倚座(はんかいざ)」と呼ばれる右足を左ヒザに乗せた特徴的なポージングになります。

%e5%bc%a5%e5%8b%92%e8%8f%a9%e8%96%a9%e3%81%ae%e3%83%9d%e3%83%bc%e3%82%b8%e3%83%b3%e3%82%b0↑弥勒菩薩(画像引用先:wikipedia)

【ピヨ🐣「弥勒菩薩」とは?】

弥勒菩薩とは、釈尊(しゃくそん/釈迦のこと)」の次に仏陀になることを約束された菩薩であり、現在、修行中とされる。

その修行が終わるのが、釈尊の入滅から56億7千万年後の未来とされ、その時に二代目組長とし‥ではなく、二代目仏陀として修行の成果を発揮し、全世界を救済するといわれる。

半跏思惟像はどうして足を組んだポージングなのか?

実は当該、半跏思惟像がとるポージング、ある有名な偉人がモデルとなっているのだが、お分かりになるだろぅか?

‥‥

‥正解は前出の釈尊(釈迦)!とされる。

このポージングは釈迦が出家前、悩みにフケったときにとっていたポージングになるらしい。

気になる人は気になる!「半跏思惟像のド頭の芸術的なほど綺麗な”タンこぶ”」

半跏思惟像を見ているうちにイヤでも視界に入ってくるのが、ド頭の上に2つある「タンこぶ」です。

このタンこぶは、キツイお仕置きをクラったのではなく「双髻(そうけい)」と呼称される仏像特有の髪型の一つ。

双髻は主に、飛鳥時代後期から奈良時代に造立された仏像に多く見られる髪型であり、特徴の一つ。

長い髪をド頭の頭頂で結い上げ、それを2つ束にまとめて、髪の一部を肩へ垂らす髪型になる。




中宮寺「弥勒菩薩半跏思惟像」は特別一般公開期間でないと見れないのか?

これほどの仏像は特別一般公開期間が設けられ、その期間中のみの公開となるのが通例。

なれど、興福寺の阿修羅立像と同じく、拝観料さえ支払えばいつでも見れる!

本像の拝観情報については中宮寺の公式サイトを素敵に無敵に要チェックや💘

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弥勒菩薩半跏思惟像の安置場所(地図)

弥勒菩薩半跏思惟像は中宮寺の本堂内部の最奥の高座(殿っ!が座る位置)に安置されています。

中宮寺本堂は靴を脱いで上がる形式を採っています。

我が国が世界に誇る仏像を間近に拝することができると思えば、面倒だと思わずに思い存分に靴を脱ぎまくりましょう!  いや…脱ぐまくらんでも‥

半跏思惟像の人気を示すかのようなグッズ群が数多にある!

実は半跏思惟像には、その人気ゆえに現代では多種多様なグッズが発売され販売されています。

その中には、「こんな物で出てるのか」などと言ったような意外なグッズが販売されています。

ご興味のある方は、以下のリンクからのぞいて見てください。

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