【法隆寺 食堂】歴史や見どころ(特徴・建築様式・大きさ)を‥お知る❓

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法隆寺「食堂 」【国宝】

⬆️食堂(国宝)

創建年 不明
(推定:710年〜793年/奈良時代)
建築様式(造り) 一重・切妻造
屋根の造り 本瓦葺
大きさ 桁行七間
梁間二間
重要文化財指定年月日 1901年(明治34年)3月27日
法要 仏生会:4月8日(午前10時)

「食堂」の読み方

「食堂」:「じきどう」

食堂の役割り

食堂はかつては政所(まんどころ)と呼ばれた寺院の政務や事務を行う寺務所として営まれたらしい。

しかしながら、平安時代初頭に軽微な改築が行われ、今日に見られような数多の僧侶が食事をする場所(食堂)として再建された。

集団生活を行うことが必須条件となる僧侶にとって、食堂は生活の中心的な場所でもあり、伽藍内でも重要な位置づけの場所だった。

法隆寺に伝承される「法隆寺伽藍縁起ならびに流記資財帳」によれば、「食堂の大きさは大講堂と比べても見劣りしないほど大きく壮大である」などの記述が残されてい‥申す。えっ




食堂と細殿はなぜ一つの建物にしなかったのか?

平安時代などは面積の広い建物を建てるのが技術的に困難な時代であり、このように双堂(ならびどう)にして一棟の建物として営んだらしい。

然るに、このような双堂形態の殿舎or堂舎は古い時代の建造物を示すものであり、建造された年代測定の目安の一つとも‥なっちゃぅ。

食堂の建築様式(造り)

平安期の用材が活きた創建当初の姿を今に伝える

食堂は平安時代に再建されているも、建物の骨組み(用材)は創建時のものがそのまま活かされ、後世の用材が少し混在しつつも創建時の面影を色濃く残す。

二重虹梁蟇股

妻側には、大虹梁と二重虹梁と重ねた二重虹梁蟇股(にじゅうこうりょう かえるまた)が用いられ、それが外部から目視できる。

二重虹梁蟇股は天平時代の建造物に多用された特徴の一つ。

境内では、伝法堂東大門でも見られる。

食堂の内部の様子

実は現在の食堂の内部には一般非公開の薬師如来坐像が御本尊として安置されています。

食堂安置「乾漆・薬師如来坐像」【重要文化財】

  • 造立年:奈良時代
  • 像高:60.9㎝
  • 材質:塑像

食堂で執行される法要 一覧

仏生会

仏生会とは、世間一般的に知られる「灌仏会(かんぶつえ)」のこと。

灌仏会とは、606年(推古天皇14年)に始められた釈尊(釈迦)の生誕を奉祝する法要と‥あ、なっちゃぅ。

法要内容

灌仏会では、お椀の真ん中に釈迦が生誕した時の姿をモチーフとした「誕生仏(たんじょうぶつ)」を置く。

画像引用先:https://ja.wikipedia.org

その誕生仏のド頭の上からお茶を注ぎ、茶碗にたまったお茶を寄り集まった一同で飲み干し、釈尊の生誕を盛大に奉祝する。

法隆寺の仏生会では、食堂中央に釈迦誕生仏が配置され、甘茶を注ぐ。

起源

法隆寺の仏生会は、平安時代から鎌倉時代に隆昌した「(聖徳)太子信仰」に基づくもので、1119年(元永2年)に大講堂で始められたのが起源と伝わる。

法隆寺 食堂の場所(地図)

食堂は、中門右側から歩いた先に位置する綱封蔵の奥に位置する。

大宝蔵院の拝観が終わり、出口へ向かう途中で見られます。

ただ、この建物は間近で見ることができないため、じっくりクリくり栗きんとん‥なほどに、じっくりと細部まで見るためには望遠鏡やポケットグラスのようなものが必要になります。どんなジックリや

境内の建造物一覧(案内図)

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