法隆寺「上御堂(上堂)」【重要文化財】

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法隆寺・上御堂(上堂)【重要文化財】

創建年

不明
推定:676年以降
推定:923年から931年(延長年間)

再建年

1318年(文保2年)頃

重要文化財指定年

1898年(明治31年)12月28日

特別一般公開日

毎年11月1日〜3日まで

法隆寺・上御堂(上堂)の読み方

上御堂(上堂)は「かみのみどう」と読みます。




法隆寺・上御堂(上堂)の歴史

法隆寺・上御堂は、西院伽藍の大講堂から石段を上った所の高台、講堂の真裏にあります。講堂の内部へ入って左端から上御堂への通路が設けられています。

元々は奈良時代、天武天皇(天智天皇の後、壬申の乱で勝利し即位)の皇子(息子)「舎人親王(とねりしんのう)」が造営したものと言われていますが、真相は明らかではありません。

その他の説では、古文書「法隆寺政所並法頭略記」の観理の項の記述によると、かつて上御堂は「講堂」と呼ばれ、923年から931年(延長年間)に当時の法隆寺別当が、かつて京都に存在したとされる普明寺(ふみょうじ)の堂舎を移築して「上御堂」として創建したものとも伝えられています。

現在の上御堂の堂舎は大講堂の後方に位置しますが、上述の普明寺の堂舎を移築した際はもう少し北側にあったと考えられており、後述する釈迦三尊像もこのタイミングに合わせて造像されたと考えられています。

しかし以降、上御堂は以下の年月日に台風で倒壊したと云われております。

  • 989年(永祚元年)
  • 1099年から1104年(康和年中)

以上のことから、残念ながら現在見ることのできる上御堂は鎌倉時代に再建された時の姿となります。

内部には「釈迦三尊坐像(国宝)」「四天王立像(重要文化財)」が奉られています。

法隆寺・上御堂(上堂)の歴史(年表)

歴史
676年〜931年 上御堂が創建される。
1107年 上御堂が損壊す。
1324年 聖徳太子没
1346年 上御堂の多聞天が新造される。
1348年頃 上御堂の持国天が新造される。
1350年頃 上御堂の増長天が新造される。
1351年頃 上御堂の広目天が新造される。
1978年 上御堂にて修理が開始される。

釈迦三尊坐像(国宝)

画像引用先:http://kousin242.sakura.ne.jp/

造立年

平安時代

像高(座高)

227.9㎝※中座・釈迦如来座像

像高:155.7㎝※左脇侍「文殊菩薩坐像」
像高:153.9㎝※右脇侍「普賢菩薩坐像」

造り

サクラ材の一木造、金漆箔

釈迦三尊像の特徴

平安時代に造立されたと伝えられる釈迦如来坐像は、フっくらした体型といいポーズといい、大講堂の薬師如来坐像にどことなく似ています。

こんなに大きな、そして体格のいい仏像をよく1本の木材から・・と思ってしまいます。

また桜材を切り出して造立された仏像と言うのは非常に稀有であり、その上さらに桜の一木造り(1本の木から造立)で造立されています。

ただ、サクラは木が細いことから、相当太いサクラの木を使用しないと完全な一木造りは困難です。

おそらく同じサクラの別材を用いて一木造りとしたと考えられます。

一木造りは胴体・頭部が同材であれば一応は「一木造り」とみなされてるようになっていますが、この像は2メートル近くもあることから相当な量の別木を継ぎ足して造像したものだと考えられます。

どっちが文殊菩薩でどっちが普賢菩薩なの?

文殊菩薩の像容は巻子(かんす)という巻物と剣を持っています。普賢菩薩は如意(にょい)というSMの嬢王様が持つような鞭(むち)のようなものを持っています。

上御堂へ入堂してどちらが普賢でどちらが文殊なのか迷われたら、この解釈で判断してください。

ちなみに左脇侍や右脇侍といった言葉の意味合いは、すべて御本尊をから見てどの位置なのか?を示して左右を決めています。

左脇侍であれば参拝者からすれば御本尊の右側になります。逆に右脇侍であれば御本尊の左側になります。ウフ

釈迦三尊像の歴史「最初から上御堂にはなかった?!」

上述したように上御堂は記録に見られるだけで2回の台風により倒壊しています。そのたび修繕や再建された歴史を持ちますが、台風で倒壊後は真下に位置する大講堂にて仮安置されていたと伝えられています。

それから現在見られるように上御堂へ戻されたのは1324年(元享4年/鎌倉時代)になってからのことです。

その後、四天王像が1355年(文和4年/南北朝時代(室町時代))に造立され、現在見られるように釈迦三尊像の周囲に脇侍として配されています。

釈迦三尊象の詳細は以下の別ページにてご紹介しております。

関連記事: 法隆寺・(金堂)釈迦三尊像「釈迦如来と文殊菩薩?普賢菩薩??」




四天王立像(重要文化財)

 造立年

室町時代

造り

寄木造り

材料

ヒノキ材、玉眼

仏師

寛慶
幸禅

四天王立像の特徴

柔和な表情の「釈迦三尊坐像」に対し、室町時代の作品である「四天王像」はさすがの躍動感と怒りの形相です。

金堂の四天王像との違いは一目瞭然です。

上堂の四天王像の内部は内刳(うちぐり)を施していますので、内部は空っぽです。

この胎内には「1355年(文和4年)※南北朝時代(室町時代)」に造像された旨の銘が刻まれていることから室町時代の造立であることが明らかにされています。

仏師は奈良の椿井 (つばい) 仏所に属した寛慶(かんけい)と弟子の幸禅順慶が担当しています。

  • 持国天・増長天:寛慶
  • 広目天:順慶
  • 多聞天:幸禅

四天王とはインドの遥か南の海にあると云われる「須弥山(しゅみせん)」の頂に住む「帝釈天(たいしゃくてん)」と須弥山を守護する仏様たちです。

広目天(こうもくてん)、増長天(ぞうちょうてん)、持国天(じこくてん)、多聞天(たもんてん)と言う名前をしており、足元に邪鬼を踏みつけています。

四天王のうち多聞天は最強の力を誇り、単体で祀られることがあります。多聞天が単体で祀られる時の名前を何だかご存知ですか?

・・そうです。

一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか?

戦国武将の上杉謙信も崇拝したとされる「毘沙門天(びしゃもんてん)」です。

上御堂内部のその他の見どころ

上御堂内部は写真撮影が一切禁止になっているので、文章のみでお伝えします。

論議台(ろんぎだい)

論議台とは左右に1基ずつ配され、僧侶(おもに高僧)が口頭試問を投げ合う台です。この2人の僧侶たちが発する言葉をもらさず聴くために論議台の周りには、たくさんの僧侶たちが座して囲みます。

⬆️写真は興福寺の論議台(画像:https://narabussi.blog.fc2.com/より)

この上御堂の論議台は、鎌倉時代〜江戸時代に制作されたと伝えられており、御本尊・釈迦三尊如来の前に2基安置されています。

論議台の上部に取り付けられた御簾(みす)が雨風に晒されたのかボロボロになっていることからも、制作された年代がうかがえます。




源頼朝卿が奉納したとされる鼉太鼓(だだいこ)

  • 総高:約4m

上御堂を正面にみて左端(内部の左端)には(受付の脇)源頼朝卿が法隆寺へ奉納したとされる大太鼓が2基安置されています。

パッと見、春日大社の鼉太鼓にソっくりクリクリ くりっクリ!・・です。

⬆️春日大社の鼉太鼓(画像:春日大社提供)

当代きっての鎌倉仏師たちの手による当時代の最高水準の粋を集めた彫刻で飾られています。制作されたのはもちろん鎌倉時代です。

所々色が剥げ落ちていることからも制作された年代を推し量ることができます。

救世観音が安置されていた厨子(ずし)

上御堂にはもう1つ大きな見どころがありますが、なんと!かのフェノロサが明治時代に見つけたとされる法隆寺の秘仏「救世観音」が発見されるまでの何百年間も奉安されていたとされる当時の厨子が現存しています。

見た目的には、保存状態がよかったのか色落ちや剥げ落ちといった損傷が少なく、これはおそらく秘仏として堂内にて日の目に触れることなく、気温や湿度が比較的、安定した場所で安置されてきたことを物語っています。

現在、救世観音は夢殿にて別の厨子に収められる形で安置されています。

五重塔の心柱の心礎をかたどった模型

上御堂を向かい見て右端には、上記、厨子が置かれていますが、その厨子の奥にはなんと!かつて五重塔に実際に使用されていた心柱の土に埋まっていた部分の模型が置かれています。

この模型は土に埋もれた部分の心礎が腐っていたので取り払った際、その跡に石膏(せっこう)を流して型をとったそうです。

その型をこうして模型として上御堂に収納しているとのことです。

下記でご紹介しておりますが、上御堂は年にたった1回、しかも11月1日〜3日にしか扉が開扉されることがありません。

そんな理由から言い方は雑ですが、普段は法隆寺の収蔵庫としても利用されているとのことです。

法隆寺・上御堂の「特別開扉(とくべつかいひ)」

法隆寺・上御堂(上堂)

上御堂では年にたった1回、例年11月1日〜3日まで扉が開扉され、内部が特別一般公開されます。

開扉される理由は内部の湿気をはらうなどの目的で、空気を入れ換えるためです。

したがって参拝客が上御堂を間近に見たり、内部に安置される釈迦三尊像や四天王像のご尊顔を拝することができるのは、この期間中のみとなります。

非常に貴重な期間なので例年、たくさんの人がこの上御堂に押し寄せます。

法隆寺・上御堂の特別公開(御開帳)

過去の話ですが、半月間もの期間、この上御堂が御開帳されています。

2014年(平成26年)2月15日(土)~3月2日(日)の約16日間の特別公開がありました。

これだけの期間があれば、比較的、混雑の薄い平日にゆっくりと参拝できるのですが、この次の特別公開は、次はいつになるのでしょうね。

【補足】法隆寺・上御堂「特別開扉」の概要

開催日程

毎年11月1日(日)、2日(月)、3日(火)

拝観可能時間(営業時間)

8時から17時まで

拝観料

法隆寺の拝観料金に込み




上御堂の内部図

法隆寺・上御堂の御朱印(釈迦如来)

上御堂では、御本尊として釈迦三尊(釈迦如来)が奉安されたことを物語る「釈迦如来」と中央に大きく墨書きされた御朱印をいただくことができます。

上御堂の御朱印の値段(初穂料):300円

 

上御堂の御朱印授与場所

上御堂の左端に御朱印受付がありますが、昼以降、人が一気に増えるので行列が発生し、それに比例して待ち時間が発生します。

番号札はなく、御朱印帳を手渡して列から出て近くで待つ形式になります。

書き手の方が2人おられる上、御朱印は1つだけなので御朱印を書いてもらう待ち時間は5分くらいですが、列に並んでの待ち時間が10分〜15分くらいになることもあります。

しっかりと参拝した後には、しっかりと御朱印をいただき、旅の思い出と御朱印を言う御守りを授かりましょう!

ちなみに上御堂の受付で拝受できるのは上御堂の御朱印のみです。法隆寺の御朱印の種類や授与場所については後述のページをご参照ください。

【注意点】上御堂内部で御朱印帳の販売はなし!

上御堂内の受付では御朱印帳の販売はしていませんので、法隆寺で御朱印帳を購入予定の方は、まずはこの上御堂へ来る際に通ることになる拝観入口の右脇に建つ「聖霊院(しょうりょういん)」へ行く必要があります。

法隆寺の御朱印帳は聖霊院でしか販売していませんのでご注意ください。

聖霊院に入ってスグ右端に御朱印の受付があり、そこで販売しています。

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