法隆寺・邪鬼(金堂・四天王像足元)

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法隆寺・邪鬼(金堂・四天王像足元)【国宝】

法隆寺・邪鬼(金堂・四天王像足元)【国宝】

  • 造立:650年頃/飛鳥時代(日本最古)
  • 重文指定年月日:1897年12月28日
  • 国宝指定年月日:1951年6月9日
  • 材質:クスノキ
  • 制作手法:木彫り

四天王像や仁王像がよく踏んでいるのが「邪鬼」です。

仏教の世界における邪鬼は、異教(邪教)の象徴であり、仏の教えを犯すものです。

ところで法隆寺には、ちょっと変わった邪鬼がいるんです。

それは、金堂の四天王に踏まれている邪鬼です。

「金堂」の四天王とは?

仏道では、世界の中心には「須弥山(しゅみせん)」と呼ばれる山があると云われています。

その須弥山の頂上には「帝釈天」と呼ばれる仏様が住んでいるそうです。

この帝釈天に仕える四人の仏様を「四天王」といいます。

四天王にはそれぞれ役割があり、帝釈天の周囲の東西南北の方角を、四人で分担して守護しています。

  • 東の方角を守護しているのが「持国天」
  • 西の方角を守護しているのが「広目天」
  • 南の方角を守護しているのが「増長天」
  • 北の方角を守護しているのが「多聞天」

とされています。

四天王は、日本書記にも登場しており、587年頃の蘇我氏の当主である、「蘇我馬子」と物部氏の当主、「物部守屋」との戦いに際し、聖徳太子もこの戦いに参戦し、その時に「四天王」に戦勝の祈願をしたと記述があるそうです。

そして、この戦いで見事、勝利を手中に収めた聖徳太子は、後に「四天王」をお祀りした「四天王寺」を大阪に建立したと云われております。

ちなみにこの像(広目天像・多聞天像)の背面部には、なんと!制作者の名前が彫られており、その中の人物の1人に「山口大口費(やまぐちのおおぐちのあたい)」という名前が確認できたそうです。

そして、この人物の調査が進められて、なんと!日本書紀に「山口大口費」の名前が登場していたことから、この四天王像の造立された年月が割り出されたそうです。(650年/白雉元年)


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法隆寺の少し変わった特徴を持つ「邪鬼」とは?

法隆寺の邪鬼は、我々に馴染みのある、小さくポっちゃりとしていて、子どもっぽい顔つきの邪鬼とは様子が違います。

法隆寺の邪鬼は大きくて、表情もやや大人しく、踏まれているというより、乗ってもらっているかのようです。

そして、なんと言っても、顔です。

「牛」・・でしょうか。(気持ちばかり牛にも似ています)

広目天像の足元の「サル顔の邪鬼」↑広目天像の足元の「サル顔の邪鬼」

持国天像の足元の「牛頭の邪鬼」↑持国天像の足元の「牛頭の邪鬼」

増長天の足元の「一角の邪鬼」↑増長天の足元の「一角の邪鬼」

多聞天像の足元の「ヒヒ顔の邪鬼」↑多聞天像の足元の「ヒヒ顔の邪鬼」

なんだか、もはや「鬼」とは、到底呼べないような感じがして、逃げたくても動けないので、完全に降参している様子が伺えます。

乗っている方も、怒りの形相で迫力満点の、お馴染みの四天王ではありません。

邪鬼が暴れないのをいいことに、直立不動で静かな表情をしています。

邪鬼たちは、よく見ると、手首や足首に輪をはめているようです。

・・もしかして「手かせ、足かせ」!?

四天王も安心して乗っている、とも考えられます。

ちなみに、法隆寺の四天王像は現存する日本最古のものだと云われています。

ぜひ、足元の邪鬼まで注目して見てください。

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