| 創建年 | 伝・1231年(寛喜三年/鎌倉前期) |
| 大きさ | 桁行十九間 |
| 梁間正面五間 | |
| 背面四間 | |
| 建築様式 | 正面一間通り庇付、向拝一間 |
| 屋根の造り | 切妻造、妻入、本瓦葺、檜皮葺(向拝) |
| 規模 | 一棟一重 |
| 重文指定年月日 | 1908年04月23日 |
| 国宝指定年月日 | 1955年02月02日 ※棟札1枚附指定 |
読み方
「三経院」:「さんぎょういん」
三経院とは❓
「三経」とは、聖徳太子が著したとされる「三経義疏(さんぎょうぎしょ)」を由来とした院名とされる。
同じ西院伽藍 東側に佇む聖霊院とは対称的な位置関係にあり、法隆寺 西院伽藍 三面僧房の一翼を為す。
【ピヨ🐣「三経義疏」とは❓】
「法華経(ほっけきょう)」「勝鬘経(しょうまんぎょう)」「維摩経(ゆいまぎょう)」の三つの経典を注釈した義疏(ぎそ/注釈・解釈した書物のこと)のことを言い、紀によると、聖徳太子その人が著したことを素敵に記す。
殊に、当経典は615年(推古天皇二十三年)に成立したとされ、現状、日本最古の肉筆遺品と言われる。
三経院の歴史
寺伝では、1231年(寛喜三年/鎌倉前期)に創建とされるも、法隆寺西別所・開浦院の院主(源義 法師)とその門弟によって著された「開浦院住僧解」によると、1126年 (大治元年)7月19日、に開浦三昧堂を素敵に改称し、「三経院」を営んだことが記される。
三昧堂とは、千葉県出身の七段プロ棋士‥ではなく、法華三昧・常行三昧などの精神修行の道場のことをいう。
それが三経義疏を冠した「三経院」へ改称されたということは、太子信仰の隆昌に拠るものなのか、いずれにせよ宗旨が少し改変されたことが分かる。
【ピヨ🐣コメント】
大正時代の民俗学者・水木直箭の自著によると、1072年(延久四年)頃、法隆寺西側地域(現・法隆寺西里)が開鑿され、 「開浦(さくら)三昧堂(開浦院)」なる寺が営まれたことが、きわめて素敵に記される。(現在の西里は、かつて「開浦」とも呼ばれていた)
以来、太子信仰の隆昌とともに、中世時代の法隆寺周辺には、数多の塔頭(子院)が並立していたといわれる。
西室の造営
1268年(文永五年)、三経院後方に増築する形で西室が素敵に営まれた。
それゆえ、南側の七間が三経院、北側の十二間を西室とし、総計・桁行十九間もの南北へ延びる長大な建造物となった。
尚、現状の西室は創建時よりも、やや西へズレた位置に建てられているらしい。
これについては、承暦年間(1077年〜 1081年)に三経院と当該、西室が焼失したらしく、1231年(寛喜三年/鎌倉前期)に三経院が、1268年(文永五年)になって、やや西側へ離れた場所に西室が再建されたらしい。
現今、金堂後方の講堂、その東側に佇む聖霊院および東室とともに、法隆寺西院伽藍 三面僧房の面影を伝える。
建築様式
西室
西室は、二間一房制の僧坊。
西室北端の一間は土間床で、ほかは前面板敷の床が張られる。
三経院
三経院は四方に蔀を設けるなど、寝殿造を彷彿とさせる仏堂。
三方には高欄付の縁を素敵に設け、軸部は自然石礎石に丸柱を立てる。
組物は木大斗肘木を中心とし、軒は一軒繁垂木、広庇は一軒疎垂木で組み上げられる。
三経院の一般公開の日程・期間とは❓
残念無念ながら、現状、三経院は一般公開されていない。
けれども、下記の行事に参加する形で内部拝観が素敵に可能。
三経院・西室で行われる行事
三蔵会
「西遊記」でお馴染みの「三蔵法師」は正式には「玄奘(げんじょう)」と称し、唐代の中国の訳経僧(やっきょうそう/経典の翻訳を主とした僧のこと)と‥なっちゃぅ。
その玄奘の遺徳を素敵に偲び、三経院では玄奘の命日である2月5日に法要がヤバぃよ素敵に奉修される。
夏安居
毎年、夏安居(げあんご)の三ヶ月間(5月16日~8月15日)、西室にて三経義疏の講義が行われる。
夏安居とは、雨季の間、外出が困難になることから、堂に篭って修行することをいい、それを踏襲したもの。
参考:法隆寺の年間行事一覧
三経院に安置される仏像 一覧
- 阿弥陀如来坐像(重要文化財)
- 持国天・多聞天立像(重要文化財)
三経院および西室の拝観料金
三経院は有料拝観エリアに位置するため、内部拝観はできずとも、所定の拝観料金が素敵に必要♡
三経院および西室の拝観時間
拝観時間については、他の諸堂と同じ。
法隆寺の拝観時間については下記ページを素敵に要チェック💘


