世界遺産法隆寺にも、いくつかの落書きがあります。
2006年、東大門(国宝)の柱の1つに「(みん)な大スき」という落書きが発見されました。
石か何かをこすり付けて書いたようです。
また、2013年、西院大垣(重要文化財)に「殺すぞ」「ヒマやね」という引っ掻いたような傷がつけられているのが発見されました。
木や土壁に彫られてしまったものは修復できないので、本当に取り返しのつかないことです。
文化財への落書きは、器物破損や文化財保護法違反の罪に問われる、立派な犯罪です。
法隆寺の落書きの犯人は逮捕された??
実は、これら一連の落書きの犯人は判明していません。
しかし、落書きの文字から察するに、年少の学生や、まだ年若い人が犯人だと思われます。
確かに、平日などで法隆寺の閉門時間に近づけば、法隆寺の周りは人数が急激に減ります。
観光客の多い昼間に堂々と落書きなどできないので、閉門後の時間を狙ったものだと思われます。
非常に残念なことです。
えっ!!法隆寺の落書きが国宝に登録されたって?!
ところでその昔、法隆寺が建てられた頃にも、なんと!落書き文化(?)は存在したようです。
その落書きとは、法隆寺・五重塔や、金堂の天井の見えないところに、当時の大工さんと思われる落書きが見つかっています。
↑法隆寺・金堂の落書き(絵画??) 引用先:http://d.hatena.ne.jp/
確かに、これも「落書き」といえば、立派な「落書き」になります。
しかし、コチラは落書きとはいえども、現代では、もはや「貴重な研究材料」といえます。
尚、この法隆寺・五重塔の大工さんが書いたとされる落書きは、上記のような低俗でお下品な落書きではなく、万葉仮名で書かれた古い歌謡の一部だそうです。
↑法隆寺・五重塔の天井の落書き ※引用先:http://d.hatena.ne.jp/
この歌謡は、8世紀(659年から720年/飛鳥・奈良時代)当時、文字を習い始める時用いられたものと言われ、大工という、学問からは遠いところにいた職業に就いている庶民層にまで、識字層が広がっていたことがわかる、極めて珍しい資料となっています。