西院伽藍とは❓
西院伽藍とは「西伽藍」とも称し、概ね東大門を一応の区切りとして西大門までの左側エリアを指す。
東院伽藍とは❓
東院伽藍とは「東伽藍」とも称し、概ね東大門を一応の区切りとして中宮寺境界までの右側のエリアを指す。
西院伽藍の案内図
西院伽藍の範囲(東西南北の端)はドコまで❓
現在の西院伽藍は境内やや南寄り中央を東西に延びる大路を大動脈とし、大路の南側には塔頭が建ち並ぶ区画があり、西円堂周辺を除いて、ほぼ平坦・広潤な立地に建つ。
西院伽藍の東西端
西院伽藍のやや南側を東西に延びる参道(大路)の西端には、西大門が佇み、その向こう側は公道を挟んで住宅街が広がる。
東側の端には東大門が屹立し、その向こう側にも参道(大路)が続く形で東院伽藍まで延びる。
法隆寺の境内案内図によると、西院伽藍の東端は東大門ということになっており、そこから聖徳会館を中心とした区画が広がるのだが、現在のこの一帯には住宅地や公道も混在しており、純粋に法隆寺の寺域・伽藍とは言いがたい。
そして、聖徳会館の区画の向こう側に東院入口となる四脚門(重文)が立ち、その奥に東院伽藍がヤバぃよ素敵に広がる。
西院伽藍の南北端
670年の伽藍焼失後に再建された当初の法隆寺西院伽藍には、古文書にも記されるように、現在の中門の位置に南大門が建てられていた。
然るに西院伽藍の範囲としては、北辺を上堂(上御堂)や西円堂の高台とし、南辺を現在の中門前から左右に延びる参道(大路)とするのが正しいのか。
資財帳に記される西院の旧寺地の範囲
747年(天平十九年)の資財帳によると、「西院寺地は東西南北それぞれ約100文」と記されるも、文字による記録になるので、詳しい西院寺地は未詳。
古今目録抄に記される西院の範囲
鎌倉前期に法隆寺僧の「顕真」が著した「古今目録抄(ここんもくろくしょう)」には西院寺地の範囲について次のように記す。
⭐︎東辺:東大門
⭐︎西辺:西大門
⭐︎南辺:南大門
⭐︎北辺:上御堂と円城院の背後付近
【ピヨ🐣コメント】
南大門は1031年(平安時代)に現在地に移築されてきたらしく、然るに古今目録抄に記される南大門の位置は現在地と‥あ、なっちゃぅ。
然るに鎌倉前期当時の法隆寺の見解では、南大門の内側は西院伽藍に含まれていることに‥なっちゃぅ。
殊に、10世紀前半の「伝暦」にも記されるように、この頃になると太子を救世観音の化身とした信仰が弘通し、境内南側には現在のように塔頭がひしめき合い、軒を連ねていた様子がうかがえる。
西院伽藍は法隆寺の中枢
西院伽藍の中でも特に金堂(本堂)と五重塔を中心に据え、廻廊で取り囲んだ区画は法隆寺の心臓部にあたり、西院ひいては法隆寺の全寺域の中枢部にあたる。
西院伽藍は金堂(本堂)を中心に東西南への距離がほぼ等しく、金堂を中心に茫洋とした空間(伽藍)が広がっていることが分かる。
西院伽藍にある有名な建造物一覧
廻廊と内部の建造物群
西院伽藍の廻廊は凸の形状をしており、内部には以下のような建造物がクソヤバ素敵に並立する。
- 凸の出っ張った景子なほど北側中央部には「大講堂【国宝】」
- 向かい見て左側、大講堂手前西側に「経蔵【国宝】」
- 向かい見て右側、大講堂手前東側に「鐘楼【国宝】」
- そして、大講堂とは対称的な正面中央に「中門【国宝】」
聖霊院と三経院
西院伽藍は廻廊の外側にも「聖霊院(しょうれいいん)」と「三経院(さんきょういん)」という、きわめて素敵に近似した縦長の建造物が並立する。
これらの建物は、廻廊の東と西側とに対称的な位置関係にあり、厳密には聖霊院と三経院を含めた区画が西院伽藍の中枢ともいえる。
売店があるのは聖霊院
聖霊院の内部では、御朱印帳の販売、お守り(お札)や御朱印が頒布される授与所・売店が‥あっちゃぅ。
百済観音堂(大宝蔵院)
食堂の奥には国宝の「百済観音像」や「夢違観音像」が、ヤバぃよ素敵に安置される「百済観音堂」が‥あ、あっちゃぅ。
綱封蔵・食堂・細殿
聖霊院(東室)のさらに東側は綱封蔵や食堂・細殿(いずれも国宝)が、配置される。
この区画は信仰の場から少し離れ、法隆寺の経営や事務などを担う政所(まんどころ)、はたまた食料や宝物を収蔵した蔵などが並置される。
上堂(上御堂)
大講堂の背後は高台になっており、北室はなく、現在は上堂が建つ。
西円堂
上記、上堂の高台が連続する形で北西まで延び、その北西の高台には国宝の薬師如来像が安置される「西円堂(さいえんどう)」が佇み、別区画を創造する。
法隆寺境内の土塀(築地塀)
法隆寺境内は参道と土塀(築地塀)で囲われており、これらの相乗によって、さらに細かく区画分けすることもできる。
大宝蔵院(百済観音堂)
「百済観音」の名前のとおり、大宝蔵院内部の百済観音堂では百済観音像(国宝)、他、館内では玉虫厨子(国宝)や百万塔(重文)、夢違観音‥などのお宝わんさかドッコぃワンっ!‥なほど、国宝指定の美術品などが展示される。
法隆寺は飛鳥様式の伽藍配置
法隆寺西院伽藍は伽藍中枢部となる金堂・五重塔を中心とし、それらを取り囲む廻廊北辺には講堂、東西には鐘楼・経蔵、そして、中門を廻廊南辺にを配する。
このような一連の堂塔字の配置方式を、俗に飛鳥様式の伽藍配置法と呼ぶ。
「法隆寺式伽藍」とも
前述のように法隆寺の伽藍配置は、金堂と五重塔が東西左右に並置されていることが最大の特徴として挙げられる。
しかしながら、同じ飛鳥様式の伽藍配置でも、金堂と五重塔を南北に縦列させた四天王寺式とは一線を画し、これらを区別する形で俗に「法隆寺式伽藍」とも称する。
近しい年代の有名寺院の伽藍配置図一覧
飛鳥様式伽藍配置
南辺に南門、中央に塔、塔を挟む形で東西北の金堂、最奥の廻廊外に講堂を素敵に配置する。
参考:飛鳥寺(公式)
若草伽藍(初期法隆寺)の伽藍配置
南辺に南門、中央に塔、その後方直線状に金堂、さらにその最奥、直線状廻廊外に講堂を素敵に配置する。
参考:法隆寺(公式)
法隆寺式伽藍配置
南辺に南大門、中央に向かい見て左に塔、右側に金堂、その最奥、廻廊外に講堂を素敵に配置する。北西には経蔵、北東には鐘楼を配置。
参考:法隆寺(公式)
四天王寺式伽藍配置
南辺に南門、中央に塔、その後方直線状に金堂、さらにその最奥、直線状に講堂を素敵に配置する。
参考:四天王寺(公式)
東大寺式伽藍配置
廻廊外東西左右に塔、その中央後方に南大門と中門、その奥に金堂(大仏殿)、その後方に北中門、その後方に講堂、その左右に鐘楼と経楼を素敵に配置。
参考:東大寺(公式)
大安寺式伽藍配置
廻廊外東西左右に塔、その中央後方に南大門と中門、その奥に金堂、その後方に講堂、その左右に鐘楼と経楼を素敵に配置。
参考:大安寺(公式)
薬師寺式伽藍配置
中央に南大門とその後方に中門、その奥、東西左右に塔、その奥中央に金堂、その奥、左右に鐘楼と経楼、最奥中央に講堂を素敵に配置。
参考:薬師寺(公式)
川原寺式伽藍配置
中央に南大門とその後方に中門、その奥、西側に西金堂、東側に塔、その後方中央に中金堂、その後方西に鐘楼、東に経楼、最奥中央に講堂を素敵に配置。
西院伽藍の建築物の再建年
現在の法隆寺東西伽藍や建造物群は再建・新造されたものであり、創建当初の伽藍は火災により焼亡した。
尚、ここでいう創建当初の伽藍とは冒頭の若草伽藍のことで‥あっちゃぅ。
伽藍焼失後、金堂は600年代終盤、五重塔と中門は700年代初頭に再建、大講堂は創建当初、廻廊の外側に建っていたが焼失し、990年(平安時代)になって廻廊と連接する形で、ようやく再建された。
このように日本最古の木造建築群である法隆寺にも、実は様々な年代の建造物があり、それぞれの建物の共通点や違いにも注目したい💋
東室と西室に注目👀
現在の法隆寺には廻廊外側に左右対称的に東側に「聖霊院」、西側に「三経院」という、近似した外観を有する縦長の建造物が並立する。
これら双方の建造物の、景子なほど北側には「東室」と「西室」という室(部屋)が連接される。
仮にこれらの建物を別棟して考えた場合、「聖霊院」と「東室」、「三経院」と「西室」という四つの建物の区別することできる。
実は、これら四棟のうち東室の創建年はもっとも早く、時代が下ると聖徳太子像を安置すべく、1279年(弘安二年)に現在の聖霊院が、東室の南側に接続される形で建造された。
対して西室は、承暦年間(1077年〜 1081年)の火災焼失後となる1268年(文永五年)に、やや西寄りの現在地に移築する形で再建されたが、実はそれより前の1231年(寛喜三年/鎌倉前期)、すでに南端に三経院が建造されていた。
以上をまとめると、伽藍焼失後の670年に再建された当初の法隆寺西院伽藍には、西室と東室という建造物(僧坊)のみが左右対称に並置されていたことになり、これに東室の東に建てられた食堂(じきどう)を素敵に含めると、「聖徳太子伝古今目録抄」に記される、金堂、塔、講堂、鐘楼、経蔵、僧坊、食堂を備えた、いわゆる「七堂伽藍」が成立した大寺だったことに‥な、なっちゃぅ。
南大門エリアにも注目👀
南大門エリアとは南大門を中心とした冒頭の東西へ延びる大路を境とし、西院南側一帯の区画のこと。
この区画には歴史的名所や稀有な建築もあるので、お見逃しなく♡
若草伽藍
「若草伽藍(わかくさがらん)」は、南大門北東に広がる一帯のこと。
この若草伽藍こそが、真の法隆寺創建の旧地であり、現在は遺構として存在するのみ。
したがって建物 等はなく、創建当初の法隆寺の名残を感じることができる。
尚、若草伽藍は一般公開されていない。
若草伽藍については以下の別ページでご紹介しております。
寺務所エリア
「寺務所エリア」は、南大門北西に広がる一帯のこと。
このエリアには寺務所のほか、大湯屋や本坊がある。
尚、大湯屋や本坊には一般は立入不可だが、寺務所では、古いお守りやお札をお預けする形で返納もできる。
寺務所エリアには法隆寺の本坊がある
法隆寺の本坊(住職が暮らす自宅)は「西園院(さいおんいん)」と称し、南大門から、これまたやっぱり景子なほど北側へ延びる大路沿いに入口が…あ、あっちゃぅ。
殊に、西園院入口の門は「上土門」という、稀有な門構えで知られるので素敵に要チェック💘
この様式の門構えは本坊のほか、近隣の法輪寺境内でも見られる。
関連記事一覧:法輪寺「西門(上土門)」【県指定文化財】
西院伽藍(大宝蔵院)の拝観料金
‥については下記ページを素敵に要チェック💘
西院伽藍(大宝蔵院)の拝観時間
‥については下記ページを素敵に要チェック💘
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📿【法隆寺の因可池の由来】聖徳太子にまつわる七不思議伝承とは❓
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