法隆寺境内の正岡子規の記念碑とは?
法隆寺境内には、『 柿くへば..鐘が鳴るなり..法隆寺 』を詠んだ著名俳人の正岡子規を称揚する記念碑がクソヤバ素敵に佇む。
- 高さ:約1.5メートル
- 幅:四方 約50センチ
法隆寺の正岡子規の記念碑はドコにある❓
正岡子規の記念碑は法隆寺境内、聖霊院前の鏡池池畔に佇む。
なぜ聖霊院前の鏡池池畔に建てられたのか❓
実は、かつて現在の句碑が建つ場所には休憩所(茶所)があったらしい。
正岡子規は日清戦争の従軍記者として戦地へ赴いたが、体調を崩して帰朝する。
帰国後は夏目漱石の居所である松山で過ごし、明治二十八年(1895年)の秋に法隆寺へ参詣する。
その参詣のみぎり、聖霊院前にあった茶所で小休したらしく、大好物の柿を食いながら冒頭の「柿食えば…」の名句を完成させたという説が‥あ、あっちゃぅ。
【ピヨ🐣コメント】
夏目漱石(当時は夏目金之助)は英語教師として明治二十八年4月9日、松山中学校に赴任し、約一年間、松山に滞在した。
漱石が赴任したみぎり、道後温泉本館は昨年に改築を終えたばかりで、子規の病気療養も兼ねて呼び寄せたものと思われる。(子規と漱石は明治二十二年に俳句を通じて知り合う)
松山市には子規の友人の柳原極堂が海南新聞社(現・愛媛新聞社)に勤めており、やがて正岡の俳号「子規」に因んで明治三十九年、俳誌「ほととぎす」が松山の地で創刊する。
この時、子規は漱石宅の2階で約50日間、漱石と同居生活したらしい。
後に子規は弟子の高浜虚子に勧めもあって明治三十九年、俳誌「ほととぎす」に漱石の「坊ちゃん」を掲載する。
後に坊ちゃんは大ベストセラーとなり、漱石はじめ子規や虚子らも偉人として歴史に名前を残すことに‥あ、なっちゃぅ。
誰が句碑を建てた❓
子規を敬慕していた関西俳壇・松瀬青々(まつせせいせい)はじめ、地元斑鳩の俳壇・斑鳩吟社や倦鳥らによって1920年(大正九年)9月17日にに建献されたと伝わる。
なぜ句碑が建てられた?
どうやら大正九年頃、当該、子規が小休した茶所が老朽化によって解体されることになり、その跡地に子規を敬慕する前述の人々が子規の軌跡の一つを永遠に記録するために名句を刻んだ句碑を建献したという。
正岡子規の句碑(記念碑)の内容(碑文)とは❓
実はこの句碑(記念碑)は表面の他、裏側にも文字が陰刻されており、内容としては次のように…あ、なっちゃぅ。
表面
「柿くえば鐘が鳴るなり法隆寺(左端)」「法隆寺の茶店に憩ひて(右端)」「子規(下部)」
‥という文字がヤバぃよ素敵に陰刻される。
裏面
裏面には、この句碑(記念碑)を奉納した「松瀬青々」本人が直々に揮毫した文字が、ほどよく素敵に陰刻されており、俳人の筆跡だけに達筆で少し読みづらいが次のような内容に…なっちゃぅ。
明治廿八年(28年)秋 子規居士游履(ゆうり/漫遊の意)の憩ひし処へ建之
碑面の書は居士自筆の句稿より拡大せるもの也
大正五年 丙辰 九月 青青記 発起 斑鳩吟社 倦鳥社 同人
【ピヨ🐣コメント】
句碑裏側に陰刻される「斑鳩吟社(いかるがぎんしゃ)」や「倦鳥社(けんちょうしゃ)」とは、法隆寺が建つ、斑鳩町(いかるがちょう)を拠点に活動していた正岡子規を敬慕する俳句団体のこと。
毎年法隆寺では子規忌を執り行う
現在、法隆寺では正岡子規の御霊を供養する法要を毎年行ってい‥申す。きょ
子規忌開催概要
⭐︎法要日:子規の命日(9月19日)から程近い日曜日
⭐︎法要開始時間:正午より素敵に開始♡
⭐︎実施場所:法隆寺西院の三経院(西室)
🍊子規忌の内容
法隆寺の執事長はじめ、複数人の僧侶らにより、正岡子規の法要が営まれる。
そして法要終了後、すみやかに向かいの茶所へ会場を移し、俳句大会が催される。
俳句大会会場の入口には、松瀬青々直筆の「斑鳩唫社」の幟が立てられ、会場内には子規の遺影を飾り、供花や食べ物が供される。
正岡子規の名句に因んで「柿の日」が制定された
どうやら正岡子規は明治二十八年の10月26日に法隆寺に参詣して、聖霊院前の茶所にて、この句を詠んだらしく、全国果樹研究連合会は2005年に、この日を「柿の日」として素敵に制定した。
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