本ページでは、奈良 法起寺の伽藍配置図を紹介するとともに、現在の伽藍配置図との比較をしています。
法起寺式伽藍配置とは?
法起寺の創建当初かは不明とされていますが、往時の伽藍は、金堂と仏塔が東西左右に並ぶ形式であり、これは法隆寺西院伽藍の配置と似ています。
しかしながら、法起寺の伽藍配置では金堂が西、塔が東に建ち、法隆寺式伽藍配置とは逆の配置をしていることから、独自の様式を持つ伽藍とされ、一般的に「法起寺式伽藍配置」と呼ばれています。
法起寺の創建当初の伽藍配置図
法起寺の創建当初の伽藍配置は、一説によると岡本宮が存在した頃の伽藍の位置よりもかなり大きく、現在の倍ほどの規模を誇っていたと云われます。
法起寺の伽藍は東に「塔(法起寺の場合は”三重塔”)」、西に「金堂」を中心として、左右東西に「回廊」を配した格式を有する本格的な伽藍だったようです。
創建当初の法起寺の伽藍の配置図は以下の通りです。
画像引用先:橿原市
法起寺の伽藍は、法隆寺式の伽藍の配置図で構成されていますが、法起寺の場合は金堂と三重塔の位置が法隆寺とは真逆になっており、つまりは学会で「法起寺式伽藍」と言われるオリジナルの方式で伽藍が構成されています。
この金堂と三重塔を中心として回廊を東西南北に回し、伽藍の北側奥には「講堂」、南には「中門」が配され、これら講堂と門を回廊が繋いだ恰好となっています。
- 「金堂」は、本尊を安置する安置している場所です。
- 「講堂」は、仏教の教えを説く場所です。
- 「塔」は、供養塔のことです。内部には釈尊(釈迦)の骨壺(仏舎利)を安置しています。
現在の法起寺の伽藍の配置図
現在の法起寺には金堂の代わりに「聖天堂」が境内の西門の付近に設けられています。
また、本尊は講堂に安置されていますが、現在では「講堂」のほか、「本堂」とも呼ばれます。
過去と現在の伽藍配置図を比較してみると、創建当初と現在とでは建造物が建っていた場所はそれほど変わっていないことが分かります。
ただ、過去と現在の伽藍配置図を重ね合わせると、過去よりも現在の方が大きく見えます。これは現在の境内図で示すと、右半分が過去(創建当初)の伽藍にあてハマるからでしょう。
上掲、境内図の左側半分を見みても分かりますが、創建当初の法起寺伽藍は回廊外にも広大な敷地が広がっていたことが明らかにされています。
法起寺式伽藍配置を採用する寺院一覧
実は法起寺式伽藍を採用して建立された寺院は全国で以下の60例見つかっており、当時の法起寺の寺勢を偲ばせます。
法起寺をとる寺院の分類と伽藍の特徴
西南学院大学博物館の研究では以下のような分析結果が報告されています。
- 金堂と講堂が南北に並ぶもの
- 講堂をもたない伽藍計画であった可能性が指摘されているもの
- 推定法起寺式(明確な遺構が検出されていないものの法起寺式と推定されるもの
- 外郭施設として掘立柱柵をもつものがみられた。
- 寺院は宗教施設であり、回廊で囲まれた空間は聖域として意識される。
- 回廊の外側を掘立柱柵で囲むことは防御施設としての役割を帯びていたことを意味する指摘もある。
- 法起寺式をとる寺院には、金堂と塔が南北に並ぶ形が散見される。
- 伽藍の中心線から、やや西寄りに講堂が配置される例が散見される。
- 法起寺式をとる寺院は、特定の信仰と結びつけることは難しい。
- 法起寺式伽藍は7世紀半ばまでの畿内の寺院を中心に採用され、瓦とともに周辺地域に伝播していった。
伽藍配置とは?
伽藍配置を見ることにより、宗教形態や仏教が伝来した経緯、信仰の度合い、その当時の文化など、様々な角度から時代背景を知ることができます。
扶桑略記によれば仏教伝来以来、仏教は繁栄の一途をたどり、7世紀後半には隆昌を極め、数々の寺院が全国に建てられます。
現在でも東北地方から九州地方にかけて様々な古代寺院の遺構を見ることができますが、これら数々の仏教寺院における伽藍配置はある程度、形式が定まっているのが明らかにされています。
- 寺院の本尊を祀るのが本堂となる金堂
- その脇に釈尊のお骨である仏舎利を安置する仏塔
- その奥に僧侶たちの学習する場であり、講義を行う講堂
- 講堂の両脇に回廊がまわり、回廊の外側には僧侶たちの居住空間となる僧坊
- さらに梵鐘(鐘)を吊るための鐘楼
- 経典を収める経堂
- さらに本堂の南側、回廊に連接させる形で中門
- 中門の南側には南門
‥‥‥以上、これらの堂塔は伽藍において必要不可欠なものであるとされ、このような建造物の配置を伽藍配置と言います。
古代寺院の伽藍配置の一例
- 飛鳥寺式伽藍配置
- 四天王寺式伽藍配置
- 薬師寺式伽藍配置
- 川原寺式伽藍配置
- 法隆寺式伽藍配置
- 法起寺式伽藍
伽藍配置の比較
画像引用先:西南学院大学
法起寺式伽藍配置の謎
1960年(昭和35年)、法起寺では大規模な発掘調査が実施されており、その結果、掘立柱式(礎石を置かず、地面に直挿し)の建造物と見られる遺構や石敷の雨落溝が見つかっています。
このことから、法起寺が創建される以前に何らかの建造物が建てられていた可能性が指摘されており、これが舒明天皇及び斉明天皇が営んだ「岡本宮」であるという説が浮上しています。
また、現段階で明らかにされている法起寺の旧伽藍は、南面を正面とし、南北に中心軸を設けた場合、その中心軸に沿う形式で建造物が建てられていたのです。
ところが、その前身となる建造物や溝は、南北の中心軸よりやや西寄りに20度傾けた軸線状に沿って建てられていることが明らかにされています。
このような西に約20度傾けて建造物が建てられている点は、法隆寺の前身である若草伽藍跡に比定されるものです。
法起寺の境内案内図
現在の法起寺境内にある堂塔門一覧
- 本堂
- 聖天堂
- 西門(現在の法起寺の正門)
- 南門(表門)
- 三重塔
- 収蔵庫
- 池
- 休憩所
- ベンチ
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