奈良 法隆寺・大湯屋【重要文化財】
創建年
- 1605年(慶長10年)安土桃山時代-江戸時代初期
建築様式(造り)
- 切妻造
- 妻入
- 正面一間通り庇(ひさし/雨水避け)付
- 一重
大きさ
- 桁行六間(奥行:約11m)
- 梁間四間(横幅:約7m)
屋根造り
- 本瓦葺
重要文化財指定年月日
- 1942年(昭和17年)12月22日
法隆寺・大湯屋の読み方
法隆寺の境内には難しい漢字の堂舎や仏像があり、読みにくいですが、法隆寺・大湯屋は「ほうりゅうじおおゆや」と読みます。
法隆寺・大湯屋の歴史・役割り
法隆寺・大湯屋は、法隆寺の住職の住居である「本坊・西園院」の奥、築地塀で囲まれた内側にあります。
西園院は、法隆寺の境内の南大門から少し入った左脇の寺務所付近にあります。
大湯屋の門は常時閉じられいる印象を醸し出しており、一般の公開はないように思われます。
法隆寺・大湯屋は、1605年の桃山時代終期から江戸時代初頭にかけての創建と伝わります。
寺院における湯屋の歴史は古く、日本最古の湯屋は「東大寺・大湯屋」とされています。
湯屋は、奈良時代に仏教とともに日本へ伝来し、古来、僧侶が大切な法要の前に「身体を洗い清める」浴場になります。
しかし、鎌倉時代に差し掛かると湯屋を一般に開放する寺院が現れ、これこそが上述の東大寺・大湯屋であると云われています。
すなわち一般に湯屋を開放する代わりに「浄財を寄付」していただくといったことになり、これが「銭湯の起源」と云われています。
法隆寺の湯屋が一般に開放されていたのかは謎ですが、一説では法隆寺の周辺付近の村々に開放していた時期があるとの記録も残されているようです。
法隆寺の大湯屋の内部
法隆寺の大湯屋の中には「2つ大きな釜がある」と云われております。
現在もこの「2つの大きな釜」が現存しているのかどうかは謎です。
法隆寺の大湯屋の場所【地図】
法隆寺・大湯屋は南大門から西伽藍へ入り左へ少し行った先に見えてきます。
普段は入口の門が閉じられており、少しわかりにくいかもしれません。
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