多くの古い建物と芸術品が現存する、国宝の宝庫、世界遺産・法隆寺。
そんな法隆寺にも、長い歴史の中でつい最近、失ってしまった文化財がありました。
奈良・法隆寺の放火事件
1949年1月26日朝、解体修理中の法隆寺金堂から火が上がり、模写の作業をしていた壁画を焼損しました。
公式には、模写作業をしていた画家の電気座布団から出火したとされています。
しかし模写に使った蛍光灯の電熱器が発火したという説や、20代修行僧の放火だとする説もあり、原因ははっきりしていません。
当時、金堂は修理のため解体されており、取り外されていた天井から上の部分は無事でした。
金堂は修理のため解体された理由とは、終戦間際の頃は文化財を疎開させる目的もありました。
また、そこに安置されていた仏像も他のお堂に移動してあったため、一命を取り留め、何とか無傷であったといいます。
それにつけても惜しい、壁画の焼損でした。
法隆寺・金堂壁画とは?
7世紀末の作品と言われる仏教壁画で、金堂の外陣(げじん/本堂内部の外側部)の壁に12面に渡って描かれていました。
アジアにおける古代の仏教絵画を代表するものの1つとして、信仰の対象としても、また、芸術品としても、重要で評価の高かったものです。
文化財の保護や調査は、日本では明治時代頃から始まりましたが、この壁画はその当初から価値が認められ模写も行われていました。
焦げてしまったもともとの壁画は、法隆寺大宝蔵院の隣の収蔵庫に保存されており、通常は非公開ですが毎年夏に行われる「法隆寺夏季大学」の参加者には、特別に公開されます。
法隆寺夏季大学とは、聖徳太子の考えや、宗教(学問)についての講義が毎年、法隆寺の境内の「聖徳会館」で開催されています。
ちなみに、現在金堂にある壁画は、1967年から1968年に模写されたものです。
法隆寺の超・豪勢な防火訓練?!
これら事件を機に、法隆寺では1950年に文化財保護法が制定され、1955年には文化財防火デーが制定されています。
法隆寺では、毎年文化財防火デーに、消防団員や僧侶など100名ほどが参加する防火訓練が行われています。
焼損した壁画や焦げた柱が納められている収蔵庫と金堂で法要が営まれ、その後、放水設備の点検や、池の水を使っての放水を行います。
日本にとって、世界にとって、大切な歴史的文化財です。
それが不注意で永遠に失われてしまうという悲しい出来事が、もう起きませんように。
【補足】法隆寺の防火訓練の見どころ
不謹慎ではありますが、法隆寺の防火訓練では、境内の池の水が放水ホースによって吸い上げられ、一斉に斑鳩の青空へ高々と放出されます。
その時ですが、一瞬だけ「虹」が出現し、緊張感に包まれた防火訓練のムードを、少し和やかに彩りを添えてくれます。
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