法輪寺の「重要文化財・仏像一覧」

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奈良・法輪寺「木造弥勒菩薩立像」【重要文化財】

造立年

  • 不明
  • 794年(延暦13年)から1185年(文治元年)平安時代
像高

  • 157.3cm
造立方法

  • 一木造
材質

  • 檜(ヒノキ)
重要文化財指定年月日

  • 1899年(明治32年)8月1日

法輪寺「木造弥勒菩薩立像」の歴史・特徴

「木造地蔵菩薩立像」や「木造吉祥天立像」と同様にかつては金堂に安置されており、現在は講堂に安置されています。

造立当初は、極彩色の像であったとされ、部分的に彩色が残っています。

奈良・法輪寺「木造地蔵菩薩立像」【重要文化財】

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造立年

  • 不明
  • 900年(昌泰3年)から1000年(長保2年/平安時代)
像高

  • 149.8cm
造立方法

  • 一木造
材質

  • 檜(ヒノキ)
重要文化財指定年月日

  • 1923年(大正12年)3月28日

奈良・法輪寺「木造地蔵菩薩立像」の歴史・特徴

木造吉祥天立像と同じく、もとは境内の金堂で安置されていた仏像です。現在は講堂で安置されています。

一見すると素木造りの素朴な像に見えますが、造立当初は極彩色であったそうです。




地蔵菩薩とは?

地蔵菩薩は、釈迦如来が入滅し、弥勒菩薩が現れるまでの間、人々を救済してくれる菩薩です。

弥勒菩薩は釈迦の非常に優秀な弟子で、将来は人間界に如来として現れ、入滅した釈迦の代わりに人々を救うことになっています。

しかし!その「将来」というのは、実に56億7千万年後だということなのです!

56億7千万年も間、現世に仏がいなくなってしまっては大変です!

そこで、地蔵菩薩の出番となるわけです。

浄土宗・浄土真宗などの浄土教系の宗派では、人間は「六道(ろくどう)」という6つの世界を何度も生まれ変わりながら巡っていくと考えられています。

  • 六道とは:地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天

地蔵菩薩は、この六道を、姿を変えながら巡り歩き、すべての衆生(生き物)を救うとされています。

地蔵菩薩像が、如意宝珠と錫杖(しゃくじょう)を持ち、袈裟を着た僧の姿で表され、寺院の堂内だけでなく道端に置かれることが多いのは、地蔵菩薩が、六道を旅する仏だからです。

また、地蔵菩薩が「六道」を旅するということから、地蔵菩薩像は6体一緒に置かれることもあり、これは「六地蔵」と呼ばれます。

地蔵信仰が広まったのは平安時代のことでしたが、貴族階級だけでなく、極楽往生するために現世でお金をかけられない平安時代の庶民たちの間にも普及しました。

それもそのはず、地蔵菩薩は、たとえ生まれ変わった先が地獄でも、救いの手を差し伸べてくれるのだから!

ええっ!?地蔵菩薩は閻魔様なの!?

中国では、閻魔を含む10人の王が死んだ人の罪の審判を行うという「十王信仰」があり、これが「地蔵十王経」として日本に伝わりました。

平安時代の日本では、「本地垂迹説」という、神様は仏様の仮の姿であるとする考えが広まり、地獄の王たちも仏の化身だと考えられるようになりました。

これによると、閻魔も仏の仮の姿であり、その仏とは、なんと、地蔵菩薩だとされたのです!

このような考え方は、現世で悪巧みを働いて地獄へ落ちかけた際、功徳が少しでもあれば地蔵菩薩が閻魔大王に取り入って、極楽浄土へお連れ下さるということで、広く認知されるようになりました。

地蔵菩薩の仮の姿だとされる神には、他にも、愛宕神や天児屋命(あめのこやねのみこと)などがいます。

このように、色々な神や信仰と結びつきながら、地蔵菩薩は日本人にとってもっとも身近な仏様になっていったのでした。

お地蔵さまに子供の成長や水子供養など「子供に関しての祈願をする理由」

ちなみに地蔵菩薩に「ヨダレかけ」や「お菓子」を供えて子供の成長の祈願する理由は、水子信仰に起因するものです。

幼くして亡くなった子供は功徳を積む時間がなかったので「賽の河原(さいのかわら/三途の川の岸辺)」へと流されます。..いっぺん死んでみるぅ?(by.地獄少女)

そんな哀れな子たちを救うスーパーマンが地蔵菩薩です。

奈良・法輪寺「木造吉祥天立像」【重要文化財】

造立年

  • 不明
  • 950年(天暦4年)から1000年(長保2年)平安時代
像高

  • 171.3cm
造立方法

  • 一木造
材質

重要文化財指定年月日

  • 1923年(大正12年)3月28日

奈良・法輪寺「木造吉祥天立像」の歴史・特徴

創建以来、金堂に安置されていた仏像です。現在は講堂内で安置されています。

「吉祥天(きっしょうてん)」は「吉祥」の「天」と書きます。

「吉祥」とは古来から「良いことが起こる兆し」のことを指します。

祈りを捧げることで運気がUPするかもしれません。




奈良・法輪寺「竜鬢褥」【重要文化財】

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製作年

  • 不明
  • 593年(推古天皇元年)から784年(延暦3年)平安時代
大きさ

  • 縦72cm
  • 横77cm
造立方法

  • 一木造
材質

  • 藺(い)・絹
重要文化財指定年月日

  • 1959年(昭和34年)6月27日

奈良・法輪寺「竜鬢褥」の歴史・特徴

「竜鬢褥」とは「りゅうびんじょく」と読み、わかりやすく言うと「い草」で製作された飛鳥時代から奈良時代の「御座(ござ)」です。

「麦わら」と「いぐさ」を用いた5色の糸を作り、刺繍を施し図様を表現しています。

奈良・法輪寺「塔心礎納置銅壺」【重要文化財】

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製作年

  • 不明
  • 593年(延暦13年)から645年(文治元年)飛鳥時代
大きさ

  • 総高8.5cm
  • 口径7.1cm
  • 胴径11.3cm
  • 底径7.3cm
材質

  • 銅製
重要文化財指定年月日

  • 1960年(昭和35年)6月9日

奈良・法輪寺「塔心礎納置銅壺」の歴史・特徴

旧・法輪寺の国宝「三重塔」のお宝です。

三重塔の「心礎(しんそ)」と呼称される「心柱の下に敷く石」の穴の中に埋まっていた「骨壷(仏舎利)」です。

三重塔創建時(飛鳥時代・白鳳期)に製作されたとされる歴史ある壺です。

※上記の画像は「参考画像」です。

奈良・法輪寺「宝塔文磬」【重要文化財】

製作年

  • 不明
  • 1050年(永承5年)から1185年(文治元年)平安時代後期
大きさ

  • 24cm
製造技法

  • 鍍金加工
  • 絃(裾張り)
材質

  • 銅製
重要文化財指定年月日

  • 1953年(昭和28年)3月31日

奈良・法輪寺「宝塔文磬(多宝塔文磬)」の歴史・特徴

「磬(けい)」とは、中国の打楽器の一種で、戦いの時に合図としても鳴らしていたそうです。

日本へは奈良時代に伝来し、銅や鉄で製作された「磬」を仏教に取り入れ、主に読経の際に鳴らして使用していたようです。

※上記の画像は、長野県駒ヶ根市の「長春寺」の「磬」です。




奈良・法輪寺「鴟尾残闕(鴟尾瓦)」【重要文化財】

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製作年

  • 592年(崇峻天皇5年)から710年(和銅3年)飛鳥時代
大きさ

  • 高さ:約70cm
  • 前後の長さ:約54cm

奈良・法輪寺「鴟尾残闕(鴟尾瓦)」の歴史・特徴

法輪寺の鴟尾は創建当初・飛鳥時代の講堂跡から出土した歴史あるお宝の1つです。

「鴟尾(しび)」の「鴟(し)」は「鳥類のトビ(トンビ)」を意味しますが、古代中国では「蚩(し)」と読み、「海に棲まう海獣(怪獣)」のことを意味したようです。

「鴟」は、一応、空想上の生き物とはなりますが、水を自在に操れたと言います。
そんな理由から「雨乞い」や「火事」などの「水に関する加護の目的」で屋根の上の左右の端に「鴟」を崇める形で取り付けたそうです。

実は現代に至ってもこの風習は残っており、一般的には「鯱(シャチホコ)」として名前が知られています。
名古屋城の「金色の鯱(しゃちほこ)」が有名ですが、寺の鴟尾としては東大寺の屋根上の「金色の鴟尾」が有名です。

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