法隆寺 聖霊院「恵慈法師像(木造聖徳太子および眷属像)」【国宝】

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恵慈法師像【国宝】

造立年

1121年(保安2年)※平安時代

像高

63.9㎝

造立方法

木造・切金※彩色

安置場所

聖霊院

法要

お会式(聖霊会)

聖徳太子との関係

寺伝によると595年(推古天皇3年)に日本へ訪れ、厩戸皇子(聖徳太子の幼名)に仏教を伝授した朝鮮半島の高句麗(こうくり)の僧侶です。

596年(推古天皇4年)には、法興寺(現在の飛鳥寺安居院)を造営し、蘇我善德を寺の住職に据え「三宝の棟梁」と呼ばれています。

太子の師でありながら、後に弟子である太子が著した「維摩経義疏(ゆいまきょうぎしょ)」や「勝鬘経義疏(しょうまんぎょうぎしょ)」と「法華経」を携えて、高句麗で布教活動を行うために帰国しています。

しかし、その後、太子が自らよりも先にこの世を去ったことを知ると、赤子のように泣き叫び、自らも太子が没した2月22日(現在の4月8日)にこの世を去り、浄土で太子に再会することを誓います。

その最後の言葉通り、翌年の623年の2月22日(4月8日)にこの世を去っています。

まるでフランダースの犬の少年ネロとパトラッシュを彷彿とさせる悲しい涙モノの物語です。コンコン




「恵慈法師像」の歴史・特徴

平安時代の仏像の特徴が顕著

もっとも平安期の仏像の特徴が顕著な点がプックリとした丸顔になります。

またこの太子像のみ、聖霊院の内陣奥の唐破風(からはふ)付きの豪華な厨子に安置されていることからも、その重要度が分かります。

表面には切金(截金/きりかね)と呼ばれる金箔・銀箔などと絵の具(顔料)を混ぜ込んだ塗料が塗られています。

現在はわずかに彩色が残るのみですが、造立当初は見事な彩色の仏像であったことが想像につきます。

聖徳太子像はいつでも観れない?!

大抵の仏像はいつでも観れるような印象がありますが、本像は1年に1回しか拝観することができません。

その1年にたった1回拝観できる日が「お会式」になります。

「お会式」とは?

聖徳太子好きであれば「3月22日」の数字を見てピンっ!ときた方もいると思われますが、お会式とは「聖徳太子の命日(旧暦2月22日)」に執り行われる法要になります。

この聖徳太子の命日を供養するために営まれる大法要が「お会式」です。

お会式の歴史は古く、748年(天平20年)頃から受け継がれている、法隆寺における最大規模の大法要となり、毎年行われる聖霊院の法要を「小会式(おえしき)」と呼称します。

この聖霊院で執り行われるお会式の期間は、例年3月22日から3月24日まで。時間は13時から開始されます。

期間中の3月22日のお会式(御命日法要)の時にのみ、上述の「聖徳太子像」および「山背大兄王像、殖栗王像・卒末呂王像・恵慈法師像」を特別に一般公開されます。

また、お会式の前日となる3月21日の夕刻18時頃、御逮夜法要(おたいよほうよう)と言う法要が営まれ、この法要の時にも内陣厨子の扉が開かれ、聖徳太子像および従者像(山背大兄王像、殖栗王像・卒末呂王像・恵慈法師像)を拝観できるとの話です。

「逮夜法要」とは故人が亡くなった前夜のことを意味します。

法隆寺・聖霊院のお会式前夜「御逮夜法要」の概要

日程:3月21日(御逮夜法要)
開催時間:18時~
入場料金(参加料金):無料

法隆寺・聖霊院のお会式「お小式」の概要

日程:3月22日
開催時間:13時~
入場料金(参加料金):無料

お会式は聖霊院内部に座席が設けられ、先着順で着席する形になります。
混雑具合に関しては当日、法隆寺へ問い合わせてみてください。

「恵慈法師像」の安置場所(地図)

「聖徳太子像」および「山背大兄王像、殖栗王像・卒末呂王像・恵慈法師像」は聖霊院に安置されています。

聖霊院は中門を向かい見て右手の方向に位置します。

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