【法隆寺 伝法堂】歴史や見どころ(特徴・建築様式・大きさ)を‥お知る❓

スポンサードリンク

法隆寺東院「伝法堂」【国宝】

創建年 739年(天平11年)
再建年
(現在の門)
1697年(元禄十年/江戸前期)
建築様式 切妻造、一重
大きさ 桁行(奥行き)七間
梁間(横幅)四間
屋根の造り 本瓦葺
国宝指定年月日 1951年(昭和26年)6月9日

「伝法堂」の読み方

伝法堂:「でんぽうどう

「伝法」の名前の由来

伝法とは”電報”を打つかの如くに、”仏法”を師から弟子に伝えることを言い、これが名称の由来になってい‥申す。きゃ

現在でも伝法堂内部には仏像が安置されており、往時もそのような儀式や法会が執行されていた様子がうかがえる。(後述)




法隆寺東院「伝法堂」の歴史

↑右側の隠れている建物は「絵殿(舎利殿)

伝法堂は、聖武天皇の夫人「橘古那可智(たちばなのこなかち)」の住居を移転して仏堂にして寄進されたもの伝わる。

法隆寺伝蔵の「東院資材帳」によると、「瓦葺の講堂」と記載があり、然るに東院伽藍の講堂として用いられていたことに‥あ、なっちゃぅ。

伝法堂の創建

739年(天平11年)、仏教の敬虔な信者であった橘古那可智は、自邸を法隆寺へ寄進した。

橘古那可智の邸宅が移築された年

橘古那可智の邸宅が移築された年については判然としておらず、次のような諸説ある。

  • 742年(天平14年)に奉納された
  • 746年(天平18年)に橘古那可智の資財が奉納された時
  • 759年(天平宝字3年):橘古那可智が亡くなった後、遺言により奉納された

伝法堂は天平時代の住宅様式を伝える貴重な文化財

我が国では「武家屋敷」と名づく建物は全国各地にて散見されるも、平安時代以前の貴人の住居となると、類例が少なく希少。

以上のような経緯から、伝法堂は1951年(昭和26年)6月9日に国宝指定を受けることに‥なっちゃぅ。

伝法堂の歴史(年表)

歴史
739年

759年(推定)
伝法堂が創建される。
1156年 梵天像と帝釈天像が造立され、伝法堂へ安置される。
2006年 伝法堂の屋根修理が完成す。

伝法堂の内部

伝法堂の内部へ入ると一面板張りの床が広がり、中央には来迎壁が据えられる。

正面扉を入って奥には背の低い東西に長く延びた須弥壇が設置され、須弥壇上には箱型の天蓋が天井から吊るされる形で三つ取り付けられてい‥申す。ぴょ

3つの天蓋と3つの間

伝法堂は金堂と近似した内観が採用され、三基の天蓋が設置され、その下に中央の間、東の間、西の間と称する三つの空間が素敵に創造された。

※内部は写真撮影禁止。写真はお借りしたもの。

その箱型天蓋と須弥壇の間の空間に以下のような仏像が安置される。

伝法堂の内部に安置される仏像・一覧

仏像名 造立年代(時代)
釈迦如来坐像 平安時代
薬師如来坐像 平安時代
阿弥陀如来坐像 平安時代
弥勒仏坐像 平安時代
梵天立像 平安時代
四天王立像 平安時代
帝釈天立像 平安時代
四天王立像 平安時代
地蔵菩薩立像 室町時代

中でも地蔵菩薩立像は「子安地蔵」とも呼ばれ、特に篤い崇敬が寄せられており、例年7月24日の夕刻には地蔵会が営まれ、堂内は参拝者で賑やかになる。

伝法堂に仏像が数多く安置されている理由とは❓

伝法堂に安置される仏像は、かつて境内やそれ以外の場所で奉祀されていたが、時代が下につれ伝法堂に安置されていったといわれる。

然るに、伝法堂に安置される仏像は各地各所から寄せ集められたものと…なっちゃぅ。

行信部屋

正面扉から入堂して右端には扉付きの板壁が張られている。

実はこの板壁、中央にあえて空間ができるように囲うようにして配置されており、然るに中央に空間、いわゆる一応の部屋ができる。

この部屋は古来、行信部屋(ぎょうしんべや)と呼ばれ、1417年(応永二十四年)に作られたことが明らかにされており、かつては聖霊会(しょうりょうえ)の神輿が安置されていたらしい。

尚、行信部屋の行信とは、東院伽藍を”最高”な気分にて”再興”した高僧のこと。

関連記事:法隆寺 夢殿「行信僧都坐像」【国宝】

左右の箱型天蓋はかつては厨子型天蓋だった?!

三つの天蓋のうち、左右の天蓋は八角系の柱で長年に渡って支えられていた痕跡が見つかっており、かつては厨子(箱)の形をした天蓋だった可能性が推考されてい‥申す。きゃ

これは、あえて厨子(箱)内部の仏像を見れなくする(隠す)意図があったとも考えられる。




建築様式(造り)

屋根瓦以外は奈良時代の建築

伝法堂は屋根瓦を除いて、奈良時代の姿に復原されている。

奉納以前の建物は桁行五間、妻入り、内部は二室に区画され、前方に幅広の露台(屋根のない縁側)が附属した住宅風の佇まいだった。

それが移建に際し、桁行を七間に拡張して仏堂に改造されたが、内部の床張りはそのままに以前の様式を踏襲する恰好となった。

殊に、この当時の寺院は土間建築が多かったが、床張りが貴人の住居であった名残りとも‥なっちゃぅ。

創建当初の伝法堂の大きさ

  • 桁行(奥行き):五間
  • 梁間(横幅):四間

現在の伝法堂は、桁行(奥行き)七間、梁間(横幅)四間なので、奥行きが二間分(約4メートル)短かったことに‥なっちゃぅ。

二重虹梁蟇股(にじゅうこうりょうかえるまた)

妻側の軒下の壁面は二重虹梁(にじゅうこうりょう)で組まれており、これは天平時代に流行した建築様式と‥なっちゃぅ。

白壁

白壁に装飾のない白木の柱を用い、シンプルな整然とした外観が、ほどよく素敵に映える♡

大斗肘木

平側の壁面に中備(なかぞなえ)はなく、斗栱(ときょう)は四辺に「大斗肘木(だいとひじき)」が用い、その間に梁(りょう)と長押(なげし)を通して繋ぎとめる。

柱が太い

このような梁や長押し等の横架材(水平材)に比べて、縦状に立つ柱が極端に太いのも天平時代の建築物の特徴とされる。

瓦屋根の裏側は禅宗様を示す繁垂木(しげたるき)で組み上げられる。

伝法堂の地下から斑鳩宮の礎石が発見された

伝法堂は1939年(昭和十四年)に発掘調査が実施され、かつて東院伽藍の場所に存在したとされる斑鳩宮に使用されていたと思わしき礎石が、ヤバぃよ素敵に検出された。

この礎石の発見により、聖徳太子と法隆寺の関係のほか、斑鳩宮が存在した事実までもが明らかとなった。

伝法堂の仏像一般公開日はいつ?

伝法堂では毎年7月24日の夕刻に「東院地蔵会」が営まれており、この時に群像、つまり伝法堂内部が一般公開される。

不定期にご開帳もある⁉️

ほかにも不定期だが、伝法堂ではご開帳も実施されることが‥あ、あっちゃぅ。

例えば、2010年(平成二十二年)の「平城遷都1300年祭」のみぎり、10日間の御開帳(特別一般公開)が催された。

伝法堂の一般公開日や予定については、法隆寺公式HPを要チェック💘

法隆寺 伝法堂の場所(地図)

伝法堂は東院伽藍北側に位置する建造物と‥あ、なっちゃぅ。

伝法堂の前は門が建ち、その奥に中宮寺の拝観受付窓口がパンツちら見え級にチラ見えちまぅほど素敵に‥チラ見ぇちまってる💋

伝法堂に来るまでのオススメ拝観ルート

西院伽藍→ 東院伽藍(夢殿・絵殿)→ 鐘楼→ 伝法堂→ 中宮寺

伝法堂は平べったい平屋建てなれど、内部には平安彫像が勢揃いし、天下一品級の仏堂ともいえる。

境内の建造物一覧(案内図)

関連記事一覧

📿東院伽藍【史跡名勝天然記念物】|法隆寺境内

📿【法隆寺 東院伽藍の鐘楼】何時に鳴る❓一般でも鐘撞きできる❓歴史や大きさも併せて解説👍

📿【作者はなぜ八角形で造ったのか❓】法隆寺「夢殿」の歴史や名前の由来とは❓

📿【救世観音菩薩立像の「救世」の意味とは❓】歴史(作者や制作年)と呪いの謎について解説

📿【法隆寺 伝法堂】歴史や見どころ(特徴・建築様式・大きさ)を‥お知る❓

📿【法隆寺の絵殿と舎利殿の内部には何がある❓】歴史や名前の由来・建築様式(特徴)を..お知る❓

📿【法隆寺 礼堂】歴史や見どころ(特徴・建築様式・大きさ)を‥お知る❓

📿【法隆寺(東院伽藍)の東西廻廊の大きさ(長さ・巾)はいくら❓】歴史や建築様式(特徴)と見どころとは❓

スポンサードリンク -Sponsored Link-


当サイトの内容には一部、専門性のある掲載があり、これらは信頼できる情報源を複数参照し確かな情報を掲載しているつもりです。 また、閲覧者様に予告なく内容を変更することがありますのでご了承下さい。